【実録・人間劇場】ニュー西成編(5)「トイレは黙って貸してやれ」簡易宿泊所の掟 「ギエエエエ」…断末魔の正体

大阪市西成区のあいりん地区にある寄せ場と10日契約を結び、休日もふくめ約2週間で退寮した私は、同地区にあるドヤと呼ばれる簡易宿泊所にて清掃員兼フロントとして働き始めた。
寄せ場では、過去に覚醒剤を使用していた者、現在もなお覚醒剤を常用している者、両者を合わせると5人に3人といった状態だった。これほどまで薬物との距離が近い日々を過ごしたのは初めての経験であったが、それはドヤに来たとて変わることはなかった。
ドヤで働くうえで、先輩従業員から、「これだけは気を付けろ」と言われたことがある。お笑い芸人の「GO皆川」と顔はうり二つ、春だというのにニット帽まで被っている従業員の男が言う。「このドヤに住んでいるような風貌の男が“トイレだけ貸せ”と入ってくることがたまにあるが、黙って貸してやれ。覚醒剤を打つために個室を使おうとする奴がたまにいるんだ。クソ真面目に断るとどうなるかわからないからな」
以前、“トイレだけ貸せ”と入ってきた男に対し、律義に「宿泊していない方にはお貸しできません」と対応した従業員は、胸ぐらをまれ、振り回されたらしい。覚醒剤を持ち歩いている人間など、ほかに何を持っているかわからない。その場を穏便に済ませ、当然、トイレの個室に注射器が捨てられていたとしても、警察に通報などするわけがない。
あいりん地区のトイレには、「使用済みの注射器を捨てるな」とビラが貼られていることがあるが、実際に捨てられていることがあるから警告しているのである。
私が働いていたドヤでは2人の台湾人男性が雇われていた。私のように寄せ場を出てドヤで働き始める男もいるようだが、金ができるとすぐに出ていってしまうため、日本人は定着しないのである。
その1人である陳さんもやはり、覚醒剤に対してはいろいろな思い出がある。
ある夜、「ギエエエエ」といった断末魔の叫びが廊下に響き渡っていると、客の1人がフロントの陳さんのもとへ駆け込んできた。この時点で陳さんにとっては、「また覚醒剤か」といった出来事ではある。合鍵を使ってその部屋を開けてみると、上も下も垂れ流し状態の男が気を失っていた。布団の上には使用済みの注射器が4本、転がっていたという。
ある日は、フロントにも聞こえるような音量で、「グエエエエ」という断末魔の叫びが館内に鳴り響いた。音のする方へ陳さんが近寄ってみると、1階から2階へ上がる階段の踊り場に、口から泡を吹いた男があおむけに倒れていた。陳さんが抱きかかえようとすると、男はこう懇願するのだった。
「た、頼むから救急車だけは呼ばないでくれ…」
■國友公司(くにとも・こうじ) ルポライター。1992年生まれ。栃木県出身。筑波大学芸術学群在学中からライターとして活動。著書に、大阪市西成区あいりん地区への潜入を記録した『ルポ西成七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)がある。