東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の会長を務めていた森喜朗氏が「わきまえる」発言を放ったのは、今年2月3日のことでした。わりと年始の出来事だったことに驚きます。
「テレビ(カメラ)があるからやりにくい」と言いながらも、そんなハードルをみじんも感じさせない森さんの語りを、改めて振り返ってみます。
これはテレビがあるからやりにくいんだが。女性理事を選ぶというのは、日本は文科省がうるさくいうんですよね。
だけど、女性がたくさん入っている理事会は、理事会の会議は時間がかかります。これは、ラグビー協会、今までの倍時間がかかる。女性がなんと10人くらいいるのか? 5人いるのか? 女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです。
結局、あんまりいうと、新聞に書かれますけど、悪口言った、とかなりますけど、女性を必ずしも数を増やしていく場合は、発言の時間をある程度、規制をしていかないとなかなか終わらないで困るといっておられた。だれが言ったとは言わないが。そんなこともあります。
私どもの組織委員会にも女性は何人いたっけ? 7人くらいか。7人くらいおりますが、みんなわきまえておられて。みんな競技団体からのご出身であり、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですから、お話もシュッとして、的を射た、そういう我々は非常に役立っておりますが。次は女性を選ぼうと、そういうわけであります。( 朝日新聞デジタル 2021年2月3日 )
問題発言のオンパレードで、改めて愕然
女性理事を選ぶことを「うるさく」感じているのっけからひどい。「女性がいると会議が長引く」も、めちゃくちゃな言い分だ。「議論のない会議のほうがヤバいだろ」という至極当然なツッコミが聞こえてくるようです。
続いて「女性は競争意識が強い」と言って女同士を分断し、「わきまえて」おられる女性だけが自分たちにとってありがたい存在なので、「次は(そういう)女性を選ぼう」と締めました。
女性蔑視のつるべ落としっぷりに改めて愕然としましたが、本発言の3日後には、 「Don’t Be Silent #わきまえない女たち」 と題した女たちのマイクリレーが配信され、12万回を超える再生回数を記録。次なる「森さん」を生み出さぬよう、わきまえることなく声を上げた女性たちの結束が、大きなメッセージとなりました。
「別の地平から見てきた言葉」「世論は間違っている」
とびっきり「わきまえた」女性と思われる丸川珠代五輪相(当時)の、「全く別の地平から見てきた言葉」も、東京オリンピック関連で気になった言葉のひとつです。
新型コロナ対策で助言を行ってきた政府分科会の尾身茂会長が、わざわざパンデミック下で五輪を行う意義について疑問を呈したことを受け、丸川氏が会見で放った言葉が以下でした。
我々はスポーツの持つ力を信じて今までやってきた。全く別の地平から見てきた言葉をそのまま言ってもなかなか通じづらい。( 朝日新聞デジタル 2021年6月4日 )
「スポーツの力」という“みんなをひとつに”的キーワードを使うわりには、「別の地平」と、いとも簡単にコミュニケーションを放棄する。
その後、今度は国際パラリンピック委員会の人も「《パラリンピックの中》と《外の社会》はまったく関係がない」と言い放っていて、腰を抜かしました。
「別の地平」で起きた、社会と断絶した祭典……。関係者自ら、東京オリンピック・パラリンピックは「秘密結社の奇祭」と言っているようでした。
さらに医療が逼迫する中での大会開催に不安を覚える人々の声に対し、慶大名誉教授の竹中平蔵氏が放った「世論が間違っている」発言も、忘れられない、強烈な一言です。
こういったトンデモ発言を繰り返してきた国に対し、私も最近、声を上げました。2023年10月から実施が予定されている、インボイス制度の廃止を求める運動です。
今年はじめて、というか人生ではじめて社会活動をし、記者会見もしました。省庁に足を運び、国会議員や地方議員といった政治家の人ともはじめて話をしました。彼らからしたら私は、わきまえない女かもしれません。
そんな活動の中で、財務省に行くことがありました。「社会見学!」とばかりにあれこれをじっとり見てきたのですが、公務員の人も、出入りしているマスコミや企業の人も、老若男女、ジャケット姿。
パリッとした衣服に身を包み、築80年の歴史を持つ素晴らしい建築物の中で、取り扱うは市民の暮らしを左右する国家案件。赤いカーペットが敷かれた、今にもお姫様が降りてきそうなすばらしい階段の途中で立ち止まり、ここが「日常」となっている人々の気持ちを想像しました。
かたや私はいつもオーバーオールにトレーナーで、出勤の必要がないフリーランス。東京のはしっこのマンションが私のオフィスであり、子どもの遊び場であり、家族の寝床。私と彼らの生活はまるで違って、「別の地平」のようだと思いました。
ことごとく「対話」がない
そんなある日、田んぼに囲まれた介護施設を取材でたずねることがありました。その時、ベテラン介護士の方がこんなことを言っていたんです。
「利用者さんの身体の具合は四季で変化するから、介護の仕事は一年を通してやってみないとわからない部分が多いんですよ」
折しもその日は大寒波が襲った日で、床暖房のきいた施設でも、窓の近くはひやーっと冷気を感じるような日でした。上記の発言は、新人介護士への指導について聞いた際に出た言葉だったのですが、なんだか急に鼻がツーンとして、返事に詰まってしまいました。
重用されるのは、扱いやすい「わきまえた女」だけ。上の命令とあらば、専門家の意見すら「別の地平」の話と切り捨て、たとえ命の危険を感じても、そう感じる「世論が間違っている」と耳を貸さない……。
国のエラい人たちが口にしてきた言葉には、ことごとく「対話」がありませんでした。しかし、日本の片田舎で働く介護士さんの言葉には、自分がこの1年、ずっと欲していた「コミュニケーション」がありました。
相手の変化を感じ取りながら、タッチの方法を都度、変えていく。
介護士さんがしていたのはフィジカルの話でしたが、言葉を通じた交流にも通じる、というかむしろ今足りていないものが全部、その一言に詰まっていた気がしたのです。
ほらみろ。世論が間違っているどころか、答えを持っているのは市民の方じゃん。
勝手に誇らしい気持ちになり、夕暮れの田んぼ道をノシノシ歩いて帰りました。
「人の話をよく聞く」首相との対話はどうなるか
その後も何度か官公庁に足を運びました。とある省庁の女子トイレは、洗面台に一滴も水滴がなく、立派な外観そのままの、非の打ち所がない厠でした(そもそも、それを利用する女性の数がめちゃくちゃ少ないような気もするが)。
民間企業の女子トイレは社員の名前が貼ってあるロッカーが並んでいて、そこからはみ出したコテやら化粧品から、社名という看板からは見えない生活感を感じ、親近感を覚えるのですが、省庁のトイレにはそれがなかったのです。
先日も官僚の方に「おしゃべり会しましょうよ」と言ったらにべもなく断られました。そんなものですかね。まだまだ一方通行のコミュニケーションですが、彼らに会うときは一応、襟付きの服を着ていくようにしています。それが私なりの対話の第一歩です。
来年以降、「人の話をよく聞く」首相とのコミュニケーションはどんなものになるのでしょうか。
(小泉 なつみ)