手を合わせ「おやじの年に追いついたわ」…つらい体験、「1・17」知らない世代に語り継ぐ

阪神大震災の被災地は17日、静かに鎮魂の朝を迎えた。大切な存在を失った人、震災の教訓を次世代に語り継ぐ人たちは、それぞれの誓いを胸に追悼の場を訪れ、思いを新たにした。
神戸市東灘区の山下

准史
(じゅんじ)さん(60)は17日朝、同市中央区の東遊園地に足を運び、震災で亡くなった両親の名が刻まれた銘板に手を合わせて、語りかけた。
「今年も来たで。とうとう、おやじの年齢に追いついたわ。もうすぐ定年やけど、この先も頑張って生きていくからな」
市内の小学校で教べんをとり、現在は市教育委員会の教育次長を務める。20年近く子どもや若い教員に自身の体験を伝えてきたが、今春で定年となり、語る活動はひと区切りを迎える。

「そばにいれば、死なずに済んだのでは」自分を責めたあの日

あの日、山下さんは東灘区の自宅マンションで、激しい揺れに襲われた。マンションは倒壊を免れたが、近くの実家に駆けつけると、2階建ての1階が潰れていた。がれきの中にいた父・金宏さん(当時60歳)は、すでに息がなかった。母・芙美子さん(同58歳)は助かったが、体調を崩して約5か月後に亡くなり、災害関連死とされた。
「そばにいれば、死なずに済んだのでは」と自分を責めた。人に話すことなど考えられなかった。神戸にいればつらい記憶がよみがえる。海外日本人学校への教員派遣に応募し、1999年から3年間、イランに赴いた。
帰国前の2001年11月、長男が生まれた。「絶望しながら訪れた地で、命のすばらしさを教わった」。新たな命に希望を見いだし、教え子の命を守らなければとの思いを強くした。
帰国後、神戸市内の小学校に勤務していた03年末、イラン南東部で2万人以上が犠牲となる大地震が起きた。がれきの前でうちひしがれる男性の写真が、あの時の自身と重なった。その頃、受け持っていた6年生たちに、自身の体験を初めて明かした。
子どもたちは真剣なまなざしで、「僕たちが助けないと」と募金活動を始めてくれた。この出来事の後、毎年1月に震災の経験を語る。16年に市教委に異動後は、話す相手が震災を知らない若い教員になった。

「同じ目に遭わせたらあかんのです」

「私の両親は、この家の1階で寝ていました」。今月5日、市内で開かれた市教委の新人教員研修会で、山下さんは倒壊した実家の写真を見せ、時折声を震わせながら、言葉をつないだ。「『また来週』と言って、来なかった子どももいる。皆さんの大切な教え子や家族を、同じ目に遭わせたらあかんのです」
話を聞いた川畑悠歩さん(25)は「震災を『自分のこと』と考える大切さを教わった。自分なりの方法で、子どもたちに伝えたい」と力を込めた。
山下さんは「時間がたてば、記憶は風化する。それは仕方ない」と言う。「でも、当たり前の日常が続くとは限らない。だからこそ防災教育を一生懸命やってほしい」と願っている。