宮崎県日南市で飲酒運転によって2人を死傷させた同市の女(50)に昨年12月、懲役4年の実刑判決が言い渡された。女は医師や家族から酒を控えるように言われていたが、家族に隠れて飲んでいたという。「やめたくてもやめられない自分がいた」。女は公判でこう話した。遺族は怒りと悲しみを募らせている。(伊藤和)
医師・家族から止められたが…
「ただ、飲みたかったからとしか言えない」。昨年10月、宮崎地裁での公判。事故当日に飲酒した理由について、女はうつむきながら答えた。
検察側の冒頭陳述などによると、女は夫婦関係のストレスなどで、2019年夏頃からほぼ毎日、発泡酒を2、3缶飲むようになった。20年11月頃から、めまいや
倦怠
(けんたい)感を感じ始め、医師や家族から飲まないよう言われたが、アルコール度数9%の酎ハイを隠れて飲み続けた。
昨年2月11日。女は日南市の自宅で、午前中から発泡酒1缶と酎ハイ1缶を飲んだ。正午頃、実家に向かおうとハンドルを握ったが、約10分後、県道で軽乗用車に追突。軽乗用車は対向車線に押し出されてトラックと衝突し、運転していた宮崎県串間市の保育士の女性(当時21歳)が亡くなり、トラック運転手の男性も負傷した。女の血液から検知されたアルコールは基準値の約4倍に上った。
女は昨年5月に自動車運転死傷行為処罰法違反(危険運転致死傷)容疑で逮捕され、飲酒により正常な運転に支障が生じるおそれがあると認識しながら運転したとして起訴されたが、保釈後も飲酒を続けていた。公判では、事故について「県道に出るまでしか覚えていない」と供述した。
「その人に合った治療が必要」
危険運転致死傷罪は、東名高速道路で1999年、飲酒運転のトラックが乗用車に追突し、女児2人が死亡した事故をきっかけに、2001年の刑法改正で新設された。14年に刑法から自動車運転死傷行為処罰法に移行。適用範囲を広げた。警察庁によると、00年の飲酒運転による全国の死亡事故は1276件だったが、07年は434件にまで減少。ただ、その後は減少幅が縮小し、300~160件程度で推移している。
アルコール依存症の克服を目指す人やその家族らでつくる公益社団法人「全日本断酒連盟」(東京)によると、ストレスを発散しようと酒を飲み、酔いがさめると精神が不安定になって、そのストレスから再び飲酒を繰り返すケースが多い。同連盟の担当者は「深刻化すると、周囲からどんなに止められても『飲みたい』という欲求にあらがえなくなる。専門の病院で受診したうえで、薬物や精神療法など、その人に合った治療が必要だ」と話す。
失われた命の重さ
遺族によると、被害者の女性は保育士になるのが夢で、短大を卒業した20年春から自身が通った保育園で働いていた。
「これから恋人や家族を作って幸せになる予定だったのに」。公判では母親の調書が朗読された。父親は被害者参加制度を利用。罪の意識があるかを、女に直接問いただした。遺族側は法定刑の上限(懲役15年)を求めたが、検察側は類似事件の量刑も考慮。懲役5年を求刑した。
昨年12月14日、宮崎地裁は女に懲役4年の判決を言い渡した。「何ら緊急性、必要性のないなか飲酒運転に至っており、遺族の処罰感情が厳しいのも当然」と指摘した一方で、女が反省し、前科がないことなどの事情を踏まえた。
判決の数日前。取材を申し込んでいた記者に、女から電話があった。女は「どうして飲んでしまったのか……。謝罪することしかできない」と弱々しい声で話し、「服役は覚悟しています。獄中からまた手紙を書きます」と電話を切った。
女、検察とも控訴せず、実刑が確定した。ただ、被害者女性の父親は、判決にやるせない思いを抱え続けている。「人の命が失われたのに、軽すぎて納得できない」