2万2000人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災は11日、発生から11年となった。津波に襲われた東北、関東の沿岸などで、遺族らが早朝から鎮魂の祈りをささげた。
津波で町長を含め町職員約40人が犠牲になった岩手県大槌町では、旧役場庁舎跡地で午前8時から追悼式が行われた。両親と祖母、役場職員だった兄・健さん(当時30歳)を亡くした会社員の倉堀康さん(38)は「何年たってもつらい気持ちは消えない」と涙を浮かべた。
あの日、あらがうことができない激流が2人を引き裂いた。東日本大震災で津波に巻き込まれた福島県いわき市の小松光一さん(73)が必死に握っていた妻えみ子さん(当時62歳)の手は、水中で離れた。「目をつぶったまま流されていく『えみ』の顔が忘れられない」。今も鮮明に残る記憶を抱えながら、行方不明の妻のためにできることを探し続けている。
地震の際、光一さんは自ら営む鮮魚店にいた。自宅に戻り、えみ子さんと外に出た瞬間、津波に襲われた。とっさにえみ子さんの手を取って逃げたが、濁流の中を大きな木の柱が迫ってきた。「もうだめだ」。つないでいた手の力が抜け、離れた。「助ける余裕なんてなかった。死が差し迫ったら、人間って自分の命を守ろうとしてしまうんだよな」
えみ子さんとは、千葉県で働いていた20歳代半ばに出会った。行きつけの中華料理店の店員で、明るくて嫌みがない性格にひかれた。結婚後、光一さんの故郷のいわき市で鮮魚店を始めた。
夫婦げんかでは、いつもえみ子さんが一枚上手だった。お気に入りの花柄のかっぽう着を「なんだそれ、似合わねえよ」とけなした時も、えみ子さんは知らん顔。かっぽう着姿で楽しそうに近所に出かける姿を見るのが、光一さんはいつしか好きになっていた。
震災後数か月で、店を再開。午前4時半に起きて市場に向かう生活は今も変わらない。店に行くと、倉庫に置いてある花柄のかっぽう着を眺める。津波で全壊した自宅の中から出てきた。「見てると、そばにいるような気がするんだなあ」
今、妻に何かをしてあげられるとしたら、一緒に切り盛りしてきた店を守っていくことだと思う。それと、照れくさくて伝えられなかったことを、花柄に向かって、時折つぶやく。「えみ、ありがとうな」
(折田唯、北島美穂)