エセ保守が見事受け継ぐ“石原慎太郎流ナルシシズム”と無責任体質(適菜収)

適菜収【それでもバカとは戦え】
今年2月に89歳で死去した作家で元東京都知事の石原慎太郎のお別れの会が東京都内のホテルで行われた(9日)。発起人の一人である安倍晋三は、石原が訴えた憲法改正について「何モタモタしてるんだと声が聞こえてきそう。私は私の責任を果たさなければ」「時に傲慢で、傍若無人に振る舞いながらも、誰からも愛された方でした」などと言っていたが、傲慢で傍若無人なのは安倍も同じだ。私は石原を「愛した」覚えはない。勝手に一緒にするなという話。次男でタレントの良純は「石原慎太郎は夢を託されて生きた人間」と述べていたが、こちらも冗談ではない。石原に夢を託した覚えはない。
岸田文雄は「石原先生が愛した日本」などと言っていたが正気なのか。石原は日本に対して罵詈雑言の限りを尽くしてきた人物である。
「これ(東日本大震災の津波)はやっぱり天罰だと思う」
「(能登半島地震について)震度6の地震がきたって、ああいう田舎ならいい」
皇室に対する発言もひどい。「(皇居に向かってお辞儀する人々を見て)バカじゃないか」「皇室は無責任極まるものだし、日本になんの役にも立たなかった」「それ(天皇制)は笑止だ。それは全く無意味だ」──。
ここまで暴言を吐いておきながら旭日大綬章の受章が決まればニヤけながら、ちゃっかりと受け取るのが石原流である。環境庁長官時代には水俣病患者らを「補償金が目当ての偽患者もいる」と侮辱。重度障害者に対しては「ああいう人ってのは、人格があるのかね」。こうした暴言を「石原節」「歯に衣着せぬ発言」などと甘やかしてきたから石原は増長したのである。
自分が大好きで自分より強そうなものが嫌い。石原の行動原理はこれだけだ。アメリカが嫌い、中国が嫌い、皇室が嫌い、官僚が嫌い……。社会の常識、建前にケンカを売ることで注目されてきた極めて戦後的な、幼い、甘ったれた、無責任な人物だった。こうした意味においては、わが国におけるエセ保守、なんちゃって右翼を代表する人物だったのだろう。
長男の伸晃は死去の1カ月前に慎太郎が「俺の人生は素晴らしい人生だったよな」と語ったことを明かした。弟の裕次郎に「わが人生に悔いなし」という曲があるが、石原流ナルシシズムと無責任の体質は、今の政界に見事に引き継がれている。(敬称略)
(適菜収/作家)