電撃的に国葬実施を表明した岸田首相 岸田文雄首相が、参院選遊説中に銃撃されて死亡した安倍晋三元首相の「国葬」を決断し、政界に複雑な波紋を広げている。「慎重居士」との定評を覆し、賛否が交錯する難題を決断してみせたからだ。 決断を受けて、政府は7月22日の閣議で、日本武道館での開催日程を決定する段取り。今のところ遺族との調整で、ニューヨークで開催される国連総会(9月21日~27日)の最終盤となる9月27日に執り行う方向だ。 ただ、ここにきての新型コロナ第7波襲来が大きな懸念材料となる。推移によっては、岸田首相が国葬の直前まで、アメリカのトランプ前大統領ら多数の参列が見込まれる外国首脳の接遇などをめぐって、対応に苦しむ事態も想定される。 首相在任期間の史上最長を更新し、外交を中心に多大な成果を挙げた安倍氏の突然の非業の死。ただ、国葬については、森友学園・加計学園問題などなど“負の遺産”もあり、永田町では「もっと熟慮すべきだった」(泉健太・立憲民主党代表)との批判も少なくない。 このため、今回の岸田首相の決断は、その周辺でも「大変身」と驚く声が多い。岸田首相は安倍氏死去からわずか6日後の14日に官邸記者会見で、自ら電撃的に国葬を実施すると表明。各メディアは「重大速報」として世界に発信した。 官邸関係者によれば、安倍氏の家族葬があった12日の、自民有力議員からの進言が岸田首相の慎重姿勢を変えたとされる。同議員は「安倍氏には国葬がふさわしく、法整備は可能」と力説したという。 これも踏まえ、岸田首相は13日に「国葬」実施意向を秘書官に伝達。秘書官が極秘で政府部内の調整に着手すると、間を置かずに内閣法制局から「国葬は閣議決定で行える」との見解が示され、事態が一気に進展した。 ただ、党内でも賛否が分かれていたため、一連の調整結果を与党サイドには伝えなかった。官邸筋が与党幹部に国葬実施の方針を伝えたのは、14日午後6時からの岸田首相官邸記者会見の約1時間前だったという。 岸田首相は会見の冒頭、安倍氏の憲政史上最長の在任期間や内政・外交面の功績などを丁寧に説明したうえで、「こうした点を勘案し、この秋に国葬儀の形式で安倍元首相の葬儀を行うこととする」と表明した。 安倍氏に次ぐ首相在任期間の佐藤栄作氏は「国民葬」 そもそも、戦後、首相経験者の国葬は吉田茂氏だけで、安倍氏に次ぐ長期在任期間を樹立した佐藤栄作氏は「国民葬」だった。さらに1980年死去の大平正芳氏以降は「内閣・自民党合同葬」が慣例化していた。
電撃的に国葬実施を表明した岸田首相
岸田文雄首相が、参院選遊説中に銃撃されて死亡した安倍晋三元首相の「国葬」を決断し、政界に複雑な波紋を広げている。「慎重居士」との定評を覆し、賛否が交錯する難題を決断してみせたからだ。
決断を受けて、政府は7月22日の閣議で、日本武道館での開催日程を決定する段取り。今のところ遺族との調整で、ニューヨークで開催される国連総会(9月21日~27日)の最終盤となる9月27日に執り行う方向だ。
ただ、ここにきての新型コロナ第7波襲来が大きな懸念材料となる。推移によっては、岸田首相が国葬の直前まで、アメリカのトランプ前大統領ら多数の参列が見込まれる外国首脳の接遇などをめぐって、対応に苦しむ事態も想定される。
首相在任期間の史上最長を更新し、外交を中心に多大な成果を挙げた安倍氏の突然の非業の死。ただ、国葬については、森友学園・加計学園問題などなど“負の遺産”もあり、永田町では「もっと熟慮すべきだった」(泉健太・立憲民主党代表)との批判も少なくない。
このため、今回の岸田首相の決断は、その周辺でも「大変身」と驚く声が多い。岸田首相は安倍氏死去からわずか6日後の14日に官邸記者会見で、自ら電撃的に国葬を実施すると表明。各メディアは「重大速報」として世界に発信した。
官邸関係者によれば、安倍氏の家族葬があった12日の、自民有力議員からの進言が岸田首相の慎重姿勢を変えたとされる。同議員は「安倍氏には国葬がふさわしく、法整備は可能」と力説したという。
これも踏まえ、岸田首相は13日に「国葬」実施意向を秘書官に伝達。秘書官が極秘で政府部内の調整に着手すると、間を置かずに内閣法制局から「国葬は閣議決定で行える」との見解が示され、事態が一気に進展した。
ただ、党内でも賛否が分かれていたため、一連の調整結果を与党サイドには伝えなかった。官邸筋が与党幹部に国葬実施の方針を伝えたのは、14日午後6時からの岸田首相官邸記者会見の約1時間前だったという。
岸田首相は会見の冒頭、安倍氏の憲政史上最長の在任期間や内政・外交面の功績などを丁寧に説明したうえで、「こうした点を勘案し、この秋に国葬儀の形式で安倍元首相の葬儀を行うこととする」と表明した。
安倍氏に次ぐ首相在任期間の佐藤栄作氏は「国民葬」
そもそも、戦後、首相経験者の国葬は吉田茂氏だけで、安倍氏に次ぐ長期在任期間を樹立した佐藤栄作氏は「国民葬」だった。さらに1980年死去の大平正芳氏以降は「内閣・自民党合同葬」が慣例化していた。