安倍晋三元首相への銃撃事件を受け、あらためて注目されるようになった「宗教2世」の存在。「宗教の家に生まれ育った」ことから進学や職業、恋愛の自由を奪われたり、虐待につながるような苦痛がもたらされたりすることが、当事者たちの悲痛な叫びを通して明らかになりつつある。
特集「宗教を問う」の第2回は、第1回に続き上越教育大学の塚田穂高氏(宗教社会学)のインタビュー。「宗教2世」の問題を的確に理解し、「かわいそう」で終わらせないためには何が必要なのか、話を聞いた。
――「宗教2世」問題は、安倍元首相銃撃事件が起きる前からメディアで取り上げられてきました。なぜ注目が集まるようになったのでしょうか。
近年、「宗教2世」の問題が少しずつ可視化されるようになってきました。その原因は主に3つあります。
一つは新宗教団体を中心とした宗教団体の中で2世(以降の)信者が、数・割合ともに増えているということ。今は新宗教に新たに入る人はほとんどいないため、信者の数は停滞あるいは減る方向にあります。だから教団側は内部での再生産、つまり2世を教化育成し、次世代に信仰を「継承」させていくことに力を入れざるをえない実状があります。
◇キーワード解説:「宗教2世」とは? ……特定の信仰や信念をもつ親・家族と宗教的集団から、その教えを受けて育った世代。近年SNSを中心に当事者の側から「宗教2世」という言葉が広まった◇
龍谷大学の猪瀬優理教授の調査によると、札幌の創価学会では、2002年の段階で信者のうち第2世代以降が占める割合が51.5%に上りました(『信仰はどのように継承されるか』)。
新宗教としては国内最大かつ、活発な布教をしてきた創価学会ですら、半分以上が2世という状況。調査は20年前ですから、今は新宗教の信者のうち2世以降の割合はもっと増えているはず。日本の総人口約1億2千万人のなかで自覚的な信仰を持つ人は1~3割ですから、いわゆる「宗教2世」は少なくとも数百万人はいるということになります。
信者のボリュームゾーンは2世信者
――新宗教の信者数が停滞あるいは減る一方で、2世の割合が増えていると。
そうです。これまではメディアも研究者も社会も「人はなぜ新宗教に入るのか」というところに焦点を当ててきました。しかし、その裏では当然、信者が子ども世代を産み育て、ボリュームゾーンが2世に移り変わってきていたのです。そうすると、そのなかでの悩みや生きづらさを抱える2世の存在も徐々に見えてくるわけです。
2つ目がメディア環境の変化です。
これまでも2世で悩んでいる人はいましたが、なかなか表に見えませんでした。しかも、それぞれの教団内では2世の成功体験のみがあふれかえっています。悩みを抱えていたけど一生懸命活動をするようになったというような話が機関誌に載るなど模範例ばかり。悩み続けて活動しなくなった人や、脱会後も苦しんでいる人の話はなかなか共有されなかったのです。
こうした状況を変えたのがSNSです。ここ10年、特にツイッターでは匿名で自由につぶやいたり相互参照・拡散したり、当事者同士が緩やかにつながり共感できるようになりました。
教団内では、組織と家族とに束縛されていたような2世であっても、SNS上では一アカウントとして自由に発信でき、交流ができます。そして現在のように、SNSを介して自助グループのような形でお互いの体験を共有できることは、悩んでいる2世にとっては非常に大きいのです。
2010年代には2世の体験を描いたウェブコミック、コミックエッセイがSNS上で話題になることも目立ちました。そこから書籍になったものも複数あります。出版側もそうしたテーマが社会的関心を呼ぶものであることを理解したのでしょう。そのような変化が徐々に浸透していきました。
3つ目は家族関係と、それをめぐる問題に対する社会的認識の変化です。かつては「厳しいしつけ」として家庭内の問題とされてきたようなことが「児童虐待」として認識されるようになりました。
ここ数年、「毒親」や「親ガチャ」という言葉も浸透してきています。こうした社会の変化の中で「家族問題の宗教版」として注目されるようになっています。
◇「宗教2世」の存在が注目される背景 ①新宗教の2世が増加、数百万人に上る ②SNSで当事者同士が体験を共有 ③家庭問題や児童虐待の社会的認知 ◇
示唆深いのは、ある2世の方が「〇〇の宗教の元で育った」とつぶやいてもSNSではほとんど広まらなかったのに「こんな『毒親』に育てられた」とつぶやくと、あっという間に拡散されたそうです。
家庭・親子間の虐待問題と共通点があるのは、ある意味、解決の方向も示唆していると思います。
「模範的な信者家庭像」を押し付ける
――「宗教2世」に対する虐待や自由の制限などにはどのような特徴があるでしょうか。
このあたりは教団によって色合いや現れ方が異なるので注意が必要です。
もっとも、幼少期から儀礼や布教、集会などにほぼ「強制で参加させられる」というのは比較的広範に見られることでしょう。
日本の新宗教にタブーや禁止行為はそれほど多くはないのですが、それが多い教団・教えの場合だと、やはり自由の制限が強まります。窮屈な学校生活を送ることになったり「教団外他者」との自由な交友関係が禁止され、恋愛や性的なものもコントロールされたりします。
献金によって経済的な余裕がなく進学を断念せざるをえないことや、教団設立の学校への進学が強く勧められること、布教に専念するほうが美徳とされるために進学や職業選択などの幅が狭まることもあります。これらによって人間関係が閉じられる傾向もあります。
明確な「虐待」と言えるものとしては、ムチで暴力を加える身体的な虐待もあれば、親が信仰に入れ込むことで育児放棄(ネグレクト)が起こることもあります。教団への度を越えた献金で家計が困窮に陥り、子どもの将来に影響が及ぶような経済的な虐待もあります。
教団をやめたり、批判したりすると「地獄行きが決定だよ」「天国に行けないよ」「大きな罰が下るよ」などと幼少期から教えこまれたことで精神と行動を縛ることは、一種の「霊的虐待」(スピリチュアル・アビュース)にあたると捉えられます。このように、特に教団内と教団外社会とを鋭く切り離すような「隔離型」の教団では、2世問題は特に増幅されると見たほうがよいでしょう。これは脱会を望んだ際の難しさ、呪縛にもつながります。
新宗教とは、組織がしっかりした宗教のタイプですので、信者の日々の生活に組織の影響力が強く及びます。教団組織の中で教えに基づき「こうしたほうがいい」という模範的な信者像・家族像というものがあり、それにしたがって教化活動や信徒育成が行われていく。そこに重点を置くので、教団内の文化や考え方は強い同調圧力になり、模範的な信者家庭像を子どもたちに押し付けることにもなりかねません。
もちろん親には、自らの考えに基づいて子どもをしつけたり教育したりする権利、義務がある。しかし、それが度を越えたものになっていないか、子どもの発達段階に合ったものと言えるのか、子どもの信仰や生き方の選択の自由を侵害するものになっていないか、という観点が必要なのです。
――「宗教2世」問題は「毒親」と言われるような親子関係の問題と同じだと見る人もいます。
「宗教2世」問題を「問題ある親の元で育ったかわいそうな子」といったような単なる個別の親子関係の問題で済ませてはいけません。この論理は時に教団側の言い分として使われることすらあります。先だっては集英社のウェブメディアで2世の苦悩を描いた菊池真理子さんのマンガ「『神様』のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~」が、幸福の科学の抗議を受けて掲載中止となったと報道されています。
このマンガの内容について、幸福の科学側は「親子問題と自立の問題を信仰の問題にすり替えている点もあります」などと述べています。教団で模範とされることを幼少期から親が教え、実践を重ね、教団がエリートとする教団設立の学校で学び卒業までした結果、現に苦しみを抱えている2世がいるにもかかわらず、それを当の教団側が切り離しているわけです。
教団側は2世が信仰を持って明るく暮らしているという成功体験ばかりを取り上げるのがつねです。そういう人は確かにいるでしょう。
しかし、同じように幼少期から教団の理想とする信者子弟像に基づき実践し、育ったとしても、それゆえに苦しみ、悩みを抱える2世が現にいるという事実をこそ受け止めるべきです。熱心な信仰者に育ったら教団のおかげ、教団の望む道をはずれたら家族や個人のせいで「地獄行き」などというのは、公共的・社会的存在としての教団の責任ある態度とはとても言えないでしょう。
◇2世が苦しむ傾向が強い宗教の特徴 ① タブーや禁止事項が多い ② 組織の同調性や外部との隔絶性が強い ③ 交遊・恋愛・結婚、進学・職業選択の自由を制約 ◇
2世の問題は単純な親子関係では解消しきれません。宗教団体の持つ組織性や教えの影響力を見過ごすことはできないのです。
――今注目が集まっているのは、主に新宗教の2世です。仏教やキリスト教などの伝統宗教の2世とは、どのような違いがあるのでしょうか。
「新宗教だけの問題でしょう?」としない姿勢が必要です。伝統宗教であっても、幼少期から寺社を継ぐことが決まっていたりするのは、進路選択が狭められているとも言えます。教団によっては、そのために暴力を伴うような厳しい修行や「下積み」などに耐えなければならないかもしれません。その強制性・規定性という点では新宗教の2世の問題とまったく別ではありません。
キリスト教にもいろいろありますが、教会やその聖職者によっては苦しさ、生きづらさにつながるような経験を幼少期からしているクリスチャン2世もいます。切り離さないことです。ただ、伝統宗教と大きく異なる点は、新宗教は社会の側の偏見が強いことから、周囲の理解を得られにくく孤立しやすいことでしょう。「新宗教の家に生まれ育った」というだけで持つ問題の重みがあります。むしろこれは社会の側の課題でしょう。
また「宗教」だけの問題にしない視点も必要です。スピリチュアルな思想と実践に関わる親(医療拒否などのケースも)、「陰謀論」にハマる親、レイシズムにハマる親などの場合です。組織性などの面で新宗教と違いはありますが、問題の構図は重なっています。その意味では、特定の「宗教」に入っていないとしても、誰もが出会いうる問題だという理解が必要ではないでしょうか。
社会的な支援は遅れている
――ここまで2世が声を上げるようになり、教団側でも2世問題に対して対策をしようという動きはありますか。
たとえば旧統一教会の場合でも2世が5万人以上とかなりの割合を占めており、彼らが教団内に定着しなくなれば教団として立ち行かなくなるでしょう。掘り起こしと引き止めに躍起になっているようです。多くの問題を重ねてきた教団において、はたしてそれがうまくいくのでしょうか。
新宗教一般でも、こうした2世への「信仰継承」が喫緊の課題となっています。そのこと自体は自然なことです。その過程で、これまで述べてきたような悩みや苦しみがどう扱われるかが問われています。
――こうした2世当事者への社会的支援はあるのでしょうか。経済力が乏しく、精神的にも不安定な場合も多い2世が家庭から自立するにはサポートが必要です。
具体的な支援体制の整備は遅れています。自立支援、社会保障、生活保護申請など社会福祉分野からの支援が必須ですが、2世の自立支援に集中して取り組む社会福祉士は日本でも1人、2人しか思いあたらないレベルです。社会福祉士は多くおられるのですから、そのなかで理解と取り組みが広まってほしいです。
また、公的支援や相談のための窓口の整備や、問題理解の進展も遅れています。行政窓口などに行っても「宗教のことはノータッチ」「家庭内の問題だから家族とよく相談して」などと依然として遠ざけられてしまうのです。このあたりが大きな課題です。
――生活保護を申請しても、まず家族に相談するように言われることがあるようですね。その家族が頼れないという状況が理解されていません。
社会全体でのこの問題への理解推進が必要です。周囲が2世の置かれている状況を理解することで救われる面もあります。例えば、2世にとって学校生活が窮屈なことがあります。疎外感が強く、いじめにつながることもあります。そんななかで理解や配慮がある教員や友人の存在はどれだけ心強いでしょう。
この点は学校空間だけに限られません。教団外社会もそんなに悪くない、捨てたものではないと「思わせる」こと。これは「当事者」ではないわれわれにもできることではないでしょうか。
井艸 恵美:東洋経済 記者
野中 大樹:東洋経済 記者