「おいら」は生きていた――。毎日新聞が2019年11月に報じた3本足のエゾシカが、再び北海道根室市の風蓮(ふうれん)湖湖畔に現れた。ハンターに撃たれたのか、交通事故に遭ったのかは分からない。しばらく姿を消していたが、野犬にも襲われず、いまも懸命に生きている姿に近くに住む住民は「すごい生命力、がんばれ」とエールを送る。【本間浩昭】
「おいら」は記者が命名した。左前足を失っても必死に生きる姿を伝えようと、あえて一人称の記事に仕立てた。
足に障害があるので、長距離を移動するのは難しい。とはいえ、野生動物。いつも同じ所にいるとは限らない。市民からの通報を頼りに何度も現場に通い、最初に対面できたのは取材を始めて3日目の夕方だった。重たそうな角を左右に傾けながら一心に草を食べる姿に、思わず目頭が熱くなった。
このときは1週間ほどで姿を消した。20年7月に近所の住民がSNS(ネット交流サービス)に投稿したのを最後に情報も途絶えた。「おいら」の消息を探ろうと、記者は付近を車で通るたびに徐行し、目をこらした。だが、杳(よう)として行方は知れなかった。
あれから3年。再会した「おいら」は、体色が全体に黒っぽくなり、たけだけしく見えた。毎年、生え変わる角の茶色い表皮を剥(む)くため、木や地面に角をこすりつけていた。「恋の季節」を迎え、目が血走っているようにも見えた。
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3本足のエゾシカの写真が初めて新聞に掲載されたのは1991年。公共広告機構(現ACジャパン)が選んだ環境部門の広告で電通大阪制作の「一頭一羽の命」というタイトルの作品で、広告コピーは「でも何かせずにはいられない」。命の大切さを考えさせる説得力があった。
この広告の写真の被写体は一頭の雌ジカ。交通事故に遭って中標津町の道東野生動物保護センターに運ばれたが、右の後ろ足の骨折で根元からの切断を余儀なくされた。しばらくして、センター長の森田正治獣医師に話を聞きに行った。すると、「3本足になってしまったエゾシカはあの1頭だけでない。かれこれ10頭以上になります」と切り出した。傷病鳥獣は次々と持ち込まれる、と。
「最初のうちは治療後に野生復帰させていましたが、自然界は3本足で生きていけるほど甘くない。発信器を付けて知床で放したシカはヒグマに捕食された。助けても一生、面倒をみなければならないんです」
森田さんは、診療舎のほかにリハビリ舎や保護治療舎なども造って傷ついた野生鳥獣を収容した。2006年にNPO法人は道東野生動物・自然研究所を設立。寄付を募り、傷ついた動物の管理運営や野生動物保護にあたる職員の研修などに充てた。「希少種や天然記念物を守るのも大切だけれど、命の尊さはシカだって同じだ」。エゾシカについて道は「傷病鳥獣」の対象としておらず、けがをしていても原則、保護されることはない。
理事長を務めた森田さんは18年6月、73歳で亡くなり、NPOも解散した。保護センター跡にいまも残る看板には「小さな野生動物の生命を救うことが、大きな自然を守る一歩になるのではないか」と書かれている。
傷病鳥獣の受け入れは、森田さんが所属した野生動物救護獣医師協会(東京都立川市)のほか、種の保存法の対象となる鳥獣は環境省が担当し、シマフクロウやオオワシなどを猛禽(もうきん)類医学研究所(釧路市)が、タンチョウを釧路市動物園(同)が担っている。それ以外の鳥獣は1997年に道が立ち上げた「傷病鳥獣保護ネットワークシステム」により、治療や保護に要した費用を「予算の範囲内」で、道が負担する。
だが、エゾシカやキタキツネ、カラス類など有害捕獲されている傷病鳥獣は、保護の対象から外れている。目の前で苦しむ野生動物にどのように対応すべきなのか。