10月25日、野田佳彦元首相による安倍晋三元首相への追悼演説がありました。新聞各紙でも大きく取り上げられ「賛辞集める野田氏の追悼演説」(夕刊フジ10月27日付)と評価も高かった。
あの追悼演説に関しては識者の論評をきちんと読んでもらうとして、私はまったく違う視点から述べてみたいと思います。
それは「野田氏のプロレス好き」という点からです。
「かませ犬」発言にピンときた
野田氏は以前からプロレスファンであることで知られる。先日はアントニオ猪木さんのお通夜に出席されたという。
野田氏は追悼演説に白羽の矢が立ったときに「安倍氏にスポットライトを当てるための政治人生です。『かませ犬』みたいです」とブログに書いた(10月17日)。
そのまま読むと自虐的ですが、この発言を知ったときにプロレスファンの私はピンときたのです。「かませ犬」という言葉はかつて長州力がライバルに「俺はお前のかませ犬ではない」と言ってブレイクしたセリフだからだ。この言葉をわざわざ使うことで「野田氏は演説に相当な自信があるのだな」と感じた。
すると追悼演説後に野田氏はテレビ番組で《1982年、プロレスラーの長州力が藤波辰爾に対して言ったとされる「俺はお前のかませ犬ではない」という発言を踏まえたものであると明かした。》(スポニチWEB10月25日)。
さらに、
「私は自虐ではなく“かませ犬で終わらないぞ”と気合をこめて、今回の追悼の原稿をしっかり書いていこうという意味」
「プロレスファンじゃないとわからないメッセージ」
と述べたという。ズバリではないか。多くのプロレスファンはニヤリとしたはずです。
野田演説には、プロレス的要素がいっぱい
実際に演説自体にもプロレス的な要素がふんだんにありました。
私はプロレスは「相手の良さを引き出しながら、いかに自分の主張を出していくか。観客の想像を踏み越え、仕掛け、いかに心を掴むか」というジャンルであるとも思っています。
野田氏の演説もまさにそうでした。安倍氏を讃えながらも「そういえば野田さんも元首相だったな、いろいろ闘っていたんだな」と“観客”に想像させ、自分を上げることにも成功していた。巧いなぁと思わずニヤっとしました。安倍晋三のライバルは野田佳彦だった、というイメージすら植え付けることに成功したのかもしれません。したたかです(褒め言葉)。
こんな言葉もありました。安倍元首相との「論戦」についてです。
《少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、1対1の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。》
正直この部分は「あの2人のやりとりってそんなに凄い論戦だったっけ?」と思ってしまいました。しかしこれも自分の存在を観客に訴えるマイクアピール(主張)だと思いなおせば理解できた。自分を美しく見せて少々盛るのもマイクアピールです。
拍手をしている議員がマヌケに見えた
いけない、野田氏をちょっとディスってしまいました。でもきちんと演説の最後のほうには「仕掛け」も用意していた。
《真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか。》
議場は拍手に包まれましたが、私は拍手をしている議員がマヌケに見えた。ここ数年の国会を見ていると「建設的な議論を尽くす」に拍手しちゃった議員さんは大丈夫なの? と思えたからです。
あと、安倍氏は首相時代に「真摯」という言葉をやたら使って真摯ではない態度のときがやたらありました。それをわざわざ思い起こさせるような「真摯」の使用。野田氏のいじわるが炸裂した場面でした。
「総理大臣がヤジを飛ばしているようでは…」
ちなみに野田氏はかつて安倍首相が現役のときに雑誌でこう語っています。
《プロレスは、相手の技を一生懸命に受け止めて、お互いの良さを引き出しあうからこそ、感動できる。「受け」が重要なんです。政治も言論の戦いですから、相手に一定のリスペクトをもって話を聞けば、建設的な議論になる。総理大臣がヤジを飛ばしているようでは、お話になりませんよ。》(「Number」2015年7月30日号)
安倍氏が現役のときはしっかりこう言っていました。今回は追悼演説なので表現や言葉選びが巧みだったことがわかります。
さて今回の演説のハイライトは次の部分ではないでしょうか。
《再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。》
真剣勝負とちゃんと言うのもプライドだし、何より「勝ちっ放しはないでしょう」という呼びかけがいい。
プロレスは結果も重要ですが試合における「過程(プロセス)」はもっと重要なのだと私は学びました。過程が充実していなければ意味がないのだ。それは政治家の議論も同じです。
政治の場における「プロレス」の誤用
ともすれば「プロレス」という言葉が政治の場で使われるときはネガティブな意味でしか使われない。「茶番」とか「段取りがある」みたいな意味で使われる。ワイドショーでコメンテーターが国会を見て「これはプロレスで……」などと半笑い気味で使う。
しかしそれは間違いです。政治でプロレスという言葉を使うなら「お互いの良さを引き出しあうからこそ、感動できる」「相手に一定のリスペクトをもって話を聞けば、建設的な議論になる」という意味でこそ、です。
プロレスの試合みたいに国会も「過程」を大事にしませんか? そんなことをあらためて思い出させてくれた追悼演説でした。
思い返せば、野田氏は国葬出席表明時から今の流れになることを仕掛けていたのでは? とすら感じます。
そんな「野心」も含めて良かったです。
(プチ鹿島)