オウム真理教事件 井上嘉浩元死刑囚「死刑判決が出て“究極の修行”をさせてもらっている」

1990年代に社会を震撼させた一連のオウム真理教事件は、教祖の「麻原彰晃」こと松本智津夫元死刑囚(執行時63)ら教団幹部13人が2018年に死刑を執行され、一応の決着をみた。そのうちのひとり、井上嘉浩元死刑囚(同48)が死刑判決確定直前に面会室で語った言葉とは──。
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「井上に会いに行くんだけど、一緒に来ない?」
井上元死刑囚を支援していた知人のA氏に誘われ、東京拘置所を訪れたのは2010年1月4日のこと。正直、物見遊山気分の面会だった。
この日、エンジ色の上下セットのフリース姿で面会室に現れた彼は、一面識もない私の突然の来訪に戸惑った様子だった。しかし、A氏から私を紹介されると、穏やかな笑みを浮かべてこう言った。
「マスコミは一切遮断しているんですが、今日はありがたいご縁だと思うことにします」
オウム真理教内でスピード出世し、20代で諜報省の長官を務めた彼は、教団のさまざまな凶悪犯罪に関与したとされる。だが、何も知らなければ、好青年に思えそうな人物だった。
彼は当時まだ裁判中だったが、20日余り前、最高裁に上告を棄却され、近く死刑が確定する見通しだった。そのためか、A氏に対し、前のめりな感じで死刑確定後の弁護人のことや再審請求のことを相談していた。
A氏からは「焦ってもいいことはない」とたしなめられていたが、死刑確定が間近に迫る中、平常心でいられなかったのだろう。
実際、こんなことも言っていた。
「僕は今、こうして死刑判決が出て、“究極の修行”をさせてもらっているつもりでいるんですよ。世俗にいた時も死を見つめていたつもりでしたが、甘かったな、と思います」
教団では、生命を危険にさらす修行を敢行し、「修行の天才」と呼ばれた彼らしい言葉だと思った。それと同時に死刑を恐れる思いが生々しく伝わってきた。
彼は1審で検察に死刑を求刑されながら、6000人超の死傷者を出した地下鉄サリン事件で「後方支援ないし連絡調整的な役割」にとどまっていたと認定され、無期懲役を宣告された。それが2審では、同事件で「総合調整ともいうべき重要な役割」を担ったとされて死刑判決を受けた。そういう経緯だったため、最高裁の審判を受けてもなお、死刑回避への希望を捨て切れないのではないかと思えた。
彼とA氏の会話を黙って聞いていた私に対し、彼は面会終了間際、「せっかくのチャンスですから、何か聞きたいことがあれば、聞いてください」と水を向けてきた。取材関係者である私に対し、「オウムの井上の死刑確定直前のコメント」という手土産を持たせようとする好意だったのだろう。しかし、物見遊山気分で何の準備もせずに訪れたため、適当な質問も思い浮かばず、「特にないです……」と言うほかなかった。
すると、彼は「では、片岡さんに役立つかもしれない話をさせてもらいます」と言った。
「いいご縁を大切にしてください。そして悪い縁はどんどん切ってください。私がこのような事件を起こしてしまい、それが一番思うことです」
10代の頃、松本元死刑囚と出会って心酔し、それ以後の人生をオウムに捧げた彼は、多くの人を不幸にし、自分も死刑囚になった。そんな人生を心底後悔する思いが伝わってきた。
オウム死刑囚13人が刑場のつゆと消えた際、一度だけとはいえ会って言葉を交わした彼の最期はリアルに想像できた。朝、刑場で目隠しをされ、首に縄をかけられた時、彼はどんな思いだったろうか……。今もたまに想像してしまう。