沖縄返還を巡る日米間の「密約」を示す文書を入手し、報道した元毎日新聞記者の西山太吉(にしやま・たきち)さんが24日、心不全のため、北九州市内の介護施設で亡くなった。91歳だった。葬儀は近親者で営む。喪主は長男、正人氏。
山口県下関市出身。慶応大大学院修了後、1956年に毎日新聞社に入社。沖縄が日本に復帰する直前の71年、政治部記者だった西山さんは外務省の女性事務官を通じて、沖縄の米軍用地の原状回復補償費400万ドルを日本が肩代わりする機密文書を入手して報じた。だが、外務省は密約を否定。西山さんは秘密漏えいをそそのかしたとして国家公務員法違反容疑で逮捕、起訴され、1審は無罪、2審で逆転有罪となり、78年に最高裁で確定した。
西山さんは1審判決後に同社を辞め、91年まで実家が経営する北九州市の青果会社で勤務した。その後、米公文書などで密約の存在が明らかになると、2009年3月、国を相手取り、「密約」文書の開示などを求める訴訟を東京地裁に起こした。
地裁は10年4月、西山さんの訴えを認め、外務、財務両省に密約に関する文書の開示などを命じた。しかし、東京高裁は11年9月、密約文書の存在は認めたものの、文書は「既に秘密裏に廃棄された可能性がある」として地裁判決を取り消した。西山さんは上告したが、最高裁は14年7月、上告を棄却し、原告敗訴が確定した。
西山さんは生前、「国民を欺いた密約の存在は政府の偽証によって究明されず、そそのかしというレッテルだけが残った。米公文書で明らかになるまでの四半世紀以上、社会的に抹殺され、呼吸しているだけの生活だった」と語っていた。密約を巡る事件は山崎豊子さんの小説「運命の人」のモデルになった。
西山さんの著書には「沖縄密約―『情報犯罪』と日米同盟」などがある。