現代の人間の生きる形を見据え、戦後民主主義世代の旗手として活躍したノーベル文学賞作家の大江健三郎(おおえ・けんざぶろう)さんが3日、老衰のため病院で死去した。88歳。告別式は近親者で済ませた。喪主は妻、ゆかりさん。
1935年、愛媛県大瀬村(現・内子町)生まれ。日米開戦の年に国民学校に入学し、9歳で父親を亡くした。幼少期を過ごした森の谷間の村のイメージと、終戦とともに学校教育が軍国主義から民主主義的なものに切り替わった体験が、文学上の原点となった。
同県立松山東高を卒業後、東京大に入学。仏文科在学中の57年、「奇妙な仕事」で文壇デビューし、翌年、「飼育」で芥川賞を受賞した。「芽むしり 仔 (こ)撃ち」「性的人間」など話題作を次々と発表し、戦後の新しい世代の文学の担い手として脚光を浴びた。
60年、映画監督の伊丹万作の長女で、伊丹十三の妹、ゆかりさんと結婚。長男の 光 (ひかり)さんが障害を負って生まれたことをモチーフに64年、「個人的な体験」を刊行した。障害を持つ人との「共生」を模索した。
67年の「万延元年のフットボール」(谷崎潤一郎賞)や73年の「洪水はわが魂に及び」(野間文芸賞)では、安保闘争や連合赤軍事件など同時代の出来事に触発されながら、文学を通して現代の世相や人間の再生を探った。その後も、現代人の魂の救済を主題とした「『 雨の木 (レイン・ツリー)』を聴く女たち」(読売文学賞)、「新しい人よ 眼 (め)ざめよ」(大佛次郎賞)などを執筆した。
「現代の人間の様相を衝撃的に描いた」として94年、川端康成に続き日本人2人目のノーベル文学賞を受賞。「あいまいな日本の私」の題で受賞講演をした。
社会的な発言を積極的に行い、ルポルタージュ「ヒロシマ・ノート」などを出版。2004年、憲法9条の堅持を求める「九条の会」の呼びかけ人となった。
05年には、大江さんが一人で選考をする文学賞「大江健三郎賞」を創設。受賞作の翻訳を進め、現代日本文学の海外紹介に努めた。13年には「 晩年様式集 (イン・レイト・スタイル)」を刊行した。