チリで迫害を受け来日した料理人、二度目の難民申請が却下。入管法改正案がさらに追い詰める

◆この先の人生を左右する“運命の日” 3月27日、チリ国籍クラウディオ・ペニャさん(63歳)は、東京都港区にある東京入管から「難民申請の結果を伝える」と呼び出された。かつて持っていた在留資格を失い、11年以上もの間、仮放免と収容を繰り返してきたペニャさんにとっては、この先の人生を左右する“運命の日”だった。 13時に3階の難民審査部門へ行き、呼ばれるまで廊下で待つようにと指示された。心配で付き添ってくれた友人たちとともに長椅子に座った。 昨晩は眠ることができず、食事も取ることができなかった。今朝、コーヒーだけ飲んで家を出たという。いつもは身ぎれいにして若々しい雰囲気だが、この日は髪がぼさぼさで見るからにやつれ、睡眠不足のため目がくぼんでいた。顔はこわばり、いつもは明るく冗談を飛ばす彼がずっと黙っていて、その姿はとても痛々しかった。 この日のうちに、二度目の難民申請の結果が出る。2017年にも一度目の難民審査で却下を告げられ、その日のうちに収容されてしまった。今回も万が一に備え、着替えなどの生活用品を一式持ってきていた。いかに収容の恐怖に怯えているのかが伝わってくる。 ◆「難民として認めない」理由に納得ができなかった しばらくすると名前を呼ばれ、職員とともに難民審査部門の部屋に入っていった。30分以上たって、結果を知らされたペニャさんが力ない様子で出てきた。結果は、難民として認められることはなかった。せめて「在留特別許可」だけでも……という願いすらむなしく打ち砕かれた。 ペニャさんはダメだった理由に到底納得ができなかった。入管側は「難民だという証拠が足りない」という理由とともに、「ペニャさんがチリ大使館と仲が良いのは難民としておかしい」というのだ。パスポートの更新で大使館へ行ったことについても疑いを持たれている。 「そんな理由はおかしい」と食い下がったが、審査して結果を出した職員と結果を伝えた職員は別の人物なので、訴えてもどうすることもできなかった。何度も友人たちに「おかしい、こんなのおかしい……」と繰り返しながら、悲しそうに笑った。 ◆ペニャさんは右派政治家や極右勢力に狙われていた 1973年のピノチェトによるクーデターの際、ペニャさんの父親は軍部による左派狩りに協力させられた。1990年の民主化後、父親が虐殺について証言すると、極右からは裏切者と、極左からは虐殺者の仲間とみなされ、一家全員が迫害の標的にされて家族は離散。ひっそりと暮らしていたペニャさんが料理人として有名になると、その居場所をつきとめられて1992年に首都サンティアゴで拉致・誘拐、命にかかわるほどの暴力を振るわれたという。