知床観光船事故から1年「息子がどれだけ冷たい中で死んでいったのか…」「きちんとした謝罪も説明もない」乗客家族の今

今度の日曜日23日で、観光船KAZUⅠの沈没事故から1年になります。そこで、シリーズで様々な角度から「知床事故をめぐる今」をお伝えします。第1回は「乗客家族の今」です。
千葉県松戸市。先週、「事故から1年」の思いを語る乗客家族がいました。
橳島優さんの父親(65) 「時が止まったままのような感じ」
長男の橳島優(ぬでしま・ゆう 当時34)さん。あの日、週末の休みを利用して、念願の知床観光へ。そして「KAZUⅠ」に乗り、事故に巻き込まれました。
橳島優さんの父親(65) 「風呂に入って天井を見ていると、息子がどれだけ冷たい中で死んでいったのか(と思う)、自分はこんなに温かくていい気持ちになってごめんなって、風呂に入ると毎日涙が出てくる」
事故当日の海面水温は4度、生存可能な時間は最短30分の厳しい環境でした。
事故当日の深夜、海上保安庁からの電話…間違い電話だと思い、出ませんでした。翌朝、再びかかってきた電話で、優さんが「KAZUⅠ」に乗っていたことを知りました。
斜里町B&G海洋センター体育館。深夜、案内された遺体安置所。
橳島優さんの母親(59) 「冷水があまりにも冷たいので(顔が)凍傷のような感じで赤黒くなっていて、想像していた変わり果てたどころではなくて、その顔が上書きできない、忘れられない」
事故が起きた4月23日は、優さんの父親の65歳の誕生日。退職後の趣味として楽しんで欲しいとドローンをプレゼントされましたが、 今も開けることができません。
橳島優さんの父親(65) 「まだ気持ちの整理ができていない、ぼーっとしていると息子が『ただいま』と言って帰ってくるような気がする、(息子に)お父さんって呼んでもらいたい」
事故後、運輸局の監査や、国の代行機関=日本小型船舶検査機構の検査に実効性がなかったことが浮かび上がりました。
橳島優さんの母親(59) 「誰からも謝罪がない、『一生懸命捜索はしました』、『できる限りのことはしました』と、国交省もJCI(日本小型船舶検査機構)も謝っていないし認めていないので前を向けない」
観光船「KAZUⅠ」が沈没した事故では、乗客と乗員20人が死亡。今も乗客6人の行方がわかっていません。
その6人の中に、長男と元妻がいる、十勝地方に住む男性です。
十勝地方の男性(50) 「2人が無事に帰ってきてくれたら、これだけ時間がたてば生存の可能性は厳しいというのはわかっているが」
生活は、事故を境に一変していました。
十勝地方の男性(50) 「自分の人生はもう終わってしまったような、常に倦怠感があって、何をする気力もなくて、目が覚めた瞬間から(KAZUⅠの)事件のことを考えてしまう」
事故から1年になる23日、斜里町では、乗客家族を招いた追悼式が行われます。しかし、男性は、まだ2人が見つかっていないため、参加する気にはなれないといいます。
十勝地方の男性(50) 「事故の直前に離婚をしたので、あのとき離婚をしていなかったら、2人は船に乗っていなかったのかもしれない、すごく後悔しています」
取材中、かかってきた1本の電話。相手は、今も沈没原因の調査を進める、国の運輸安全委員会です。
関心を寄せているのは、元妻の車に残されていたタブレット。もし、海上のスマートフォンと同期されていた場合、沈没の瞬間の手掛かりが残されているかもしれないのです。
十勝地方の男性(50) 「(運輸安全委員会の担当官が)あした来て一緒に作業する」 「一番の(沈没)原因は天候が悪い中、そこで出航という判断をした桂田(社長)の責任」
4桁なのか、6桁なのか、パスワードはわからず、調査は続いています。男性が今、最も強い怒りを感じているのは、運航会社「知床遊覧船」の社長、桂田氏です。
十勝地方の男性(50) 「どこまで(乗客家族を)ばかにしているのか、きちんとした謝罪も説明もない、茶番みたいなふざけた記者会見で、あのあと一切何の説明もない」
事故からまもなく1年。しかし、去年5月以降、公の場で、桂田氏の事故に関する説明はありません。
《スタジオ》 堀啓知キャスター 取材をした三栗谷記者です。乗客家族の取材を通じて、何を感じましたか?
三栗谷晧我記者 事故から1年が経ちますが、まだわからないことが多く、立ち止まっている印象を受けます。多くの人が話す「時が止まったようだ」という言葉に象徴されていると思います。
野宮範子さん VTRの中で、橳島さんの父親が「暖かい風呂に入るとごめんなと思ってしまう」と、親は子どもがいくつになっても守れなくてごめんというのが響きました…本当にこの事故に対して責任をとるのは、誰なんだろうと感じたんですが、乗客家族が今、求めていることはなんですか?
三栗谷晧我記者 国や運航会社の桂田社長が、あの日何があったのか、事故の検証を進めて、ちゃんと説明することだと思います。ある乗客家族は「再発防止とか、当たり前のことを言われると腹が立つ」と話していました。
満島てる子さん 家族は、この1年どんな毎日を過ごしいましたか。
三栗谷晧我記者 事故後、日航機墜落事故の遺族と交流を始めています。その中で聞いた言葉「日にち薬(ひにちぐすり)」というのがあるんですけど、ショックが、タマネギの薄皮を一枚ずつ剥がすように、時が経つごとに少しずつ薄くなっていくという言葉を信じて、つらい毎日にも、きっと意味があると思い、生きている」と話す姿が印象的でした。