権力を振りかざして、弱い立場にある者に性的関係を迫る。
令和の時代である今となってもなお、こうした性被害は一向になくならない。それは、永田町や霞が関といった日本政治の中枢でも起きている。特に相次いでいるのが、女性記者が取材先から受けるものだ。
どうして記者への性被害が繰り返されるのか。参院議員の公設秘書の50代男性から性暴力を受け、3月8日に慰謝料など1100万円の損害賠償を求めて提訴した女性記者のケースを例に、政界の取材現場の実態を考えていきたい。
当時彼女は、ある報道機関で、前埼玉県知事の上田清司参院議員の取材を担当していた。
2020年3月下旬、日本で新型コロナウイルスの感染者が増加し、国がどのように対応していくかが注目されている中、記者の元に上田議員の後援会事務局長から1本の連絡が入った。「面白い飲み会がある」という。
会合には事務局長のほか、医療関係者や自民党所属の衆院議員、そして上田議員の公設秘書が参加していた。新型コロナへの対応について意見交換がされており、現下の情勢を追いかける記者にとって、非常に有用な取材機会だ。
事件が起きたのは、その帰り道だ。
秘書が記者を自宅付近までタクシーで送り届けることとなったが、記者が寝入った隙に体を触るなどの暴行を繰り返した。記者が目を覚まして抵抗している様子に気づいたタクシー運転手が「どこで降りるの?」と尋ねてきたため、記者は近くの公共施設で下車。
すると、秘書も一緒にタクシーを降りて、さらにキスをするなどの暴行を続けた。記者が抵抗を繰り返したため、秘書はしばらくして立ち去ったが、この事件は記者の心に深い傷を残すこととなった。
記者は取材活動への影響を考え、この件については我慢することにした。しかし、性暴力はこれだけでは終わらなかった。
その3日後、秘書は上田議員の政局的な動きを材料に記者を飲食店の個室に呼び出した。酒量は多くなかったはずだが、記者の意識は朦朧とし、気づいたらホテルの部屋に連れ込まれていた。そこで記者は秘書から強制性交の被害を受けた。
記者は翌日、弁護士などに被害について相談。会社にも伝えたうえで、4月に警察署へ被害届を提出した。
警察による携帯電話のやりとりや監視カメラの映像などの捜査で事実関係が確認され、届出から4カ月後の8月、秘書は準強制性交容疑などで書類送検された。
だが、その2日後に秘書が自殺。不起訴処分となってしまった。
こうした経緯で記者は、国家公務員である公設秘書が職務権限を乱用して強制性交に及んだこと、また、今回の被害は、上田議員の監督権限の不行使によって起きたとして、国に対して損害賠償を求め提訴することとなる。
今回の事件は政界で取材先が情報提供を口実にして、記者への性犯罪に及ぶ典型例であると言えよう。
こうした性被害は今に始まったことではない。2018年の福田淳一財務次官(当時)によるテレビ朝日記者に対する「胸触っていい?」などのセクハラ発言のほか、2022年5月には『週刊文春』が細田博之衆院議長の女性記者へのセクハラ疑惑を報じ、国会でも話題になった。
どうして、このような性被害が繰り返されるのか。
これには、取材先と記者という関係の構造的問題、今もなお世にはびこる強姦神話、そして、会社の不十分な対応――の3つがあると考えている。
まず、取材先と記者という関係の構造的問題から見ていこう。
記者は現場で起きていることを取材し、報道を通して世に伝える存在だ。特に政治の世界では、政治家などの取材相手の動きに密着し、動向を探ることが求められる。
こういった話をすると、「記者は政治家と癒着している」という批判を受けることがある。「そもそも取材相手と酒を飲んでいることがおかしい」という指摘を受けることも多い。
しかし、私は取材活動において取材先に密着することは必要だと考える。
政治の世界は言うなればブラックボックスだ。さまざまな政策等の意思決定過程は非公開で議論されることも多く、簡単にはその中身は分からない。記者会見などの表の場で問いただすことはもちろん重要だが、そこで本音を包み隠さずに全てを話す政治家はまれだろう。
そのブラックボックスをできるだけ透明化していくことこそが、記者の役割であり、取材活動の目的なのである。
一方、取材先と記者との関係は極めてアンバランスになりやすいという現実がある。
われわれは取材をすることによってさまざまな情報を得るわけだが、それに対して何か対価を払えるわけではない。
もちろん、現場の実態をしっかりと把握して報道することが、政治家にとってプラスになることもあるが、マイナスになることだってある。
政界内に回っている情報を聞き出すのだから、そもそも情報の非対称性は圧倒的なうえに、嫌われ役になることも多い。それでも相手から情報を取らなければならず、必然的に記者は弱い立場に置かれてしまう。
こうした中、取材相手にとって都合の良い情報しか報道しなくなったり、あるいはそこに金銭の授受などが生じたりしてしまうと、密着が一転して癒着となってしまう。報道がブラックボックスを透明化するはずが、政治家が国民に見せたいところだけを見せる偏光板となってしまう可能性もあるわけだ。
そうならないように気を付けつつ、それでも取材相手から本音を引き出すためには、日々の取材活動で繰り返し顔を見せ、会話を重ね、「こいつには批判されても仕方がない」と思われるような信頼関係を築かなければならない。
取材先と記者との関係はこうした微妙なバランスの上に成り立っている。
だが、あろうことか、記者に対して性的関係を対価として求める人が少なからずいる。
それが、記者の性被害につながっているのである。
取材先に対して記者が弱い立場に置かれていることを良いことに、一部の人間はその弱みに付け込んで性的関係を求めているわけだ。
さらに、こうした構造を肯定するかのような言説が社会で受け入れられていることにも問題があるだろう。
いわゆる「強姦神話」には、例えば「襲われるような状況に身を置いていた被害者が悪い」などというような荒唐無稽な主張がある。特に記者が被害に遭った場合には、「性的に誘って情報を取ろうとした」などと根拠もなく記者がハニートラップを仕掛けたかのように語られてしまう。
今回取り上げた件についても、週刊誌が公設秘書について家族思いな人間だったというエピソードを取り上げ、まるで秘書を自殺に追い込んだ原因が記者にあるかのような報道がなされている。
しかし、言うまでもなく悪いのは記者を襲った加害者である秘書である。
性犯罪全般に言えることだが、このように事実をゆがめ、被害者を加害者に、加害者を被害者に見せかけるような先入観を排除することが社会には求められている。
そして、最後に指摘したいのが会社の不十分な対応だ。
先ほども述べたように、記者は取材先に対して弱い立場に置かれている。取材活動がこうした前提で行われている事実を考えれば、会社が記者を守るのは当然のことだ。
しかし、セカンドレイプともいえる今回の週刊誌報道について、会社は沈黙した。記者が「抗議してほしい」と働きかけたにもかかわらず、である。結局、週刊誌には記者個人として抗議文を送ることとなった。
この件について、民放労連は「所属社にはこの事件の本質を理解してもらいたい。対策が必要だった」としており、記者自身も「職場がもう少し安全になってほしい」とコメントを出している。
2018年の福田財務次官によるセクハラ発言問題でも、同じことが起きている。被害に遭った女性記者は上司に複数回にわたって相談していた。ところが会社が適切な対応を取ることはなく、記者は次官がセクハラ発言をした録音データを週刊誌に渡して報道してもらうという手段を取るに至った。
この際も民放労連は、「放送局の現場で働く多くの女性は、取材先や、制作現場内での関係悪化をおそれ、セクハラに相当する発言や行動が繰り返されてもうまく受け流す事を暗に求められてきた」と指摘。「このような歪みを是正しなければ、健全な取材活動、制作活動は難しくなる」と声明を出している。
報道が性被害による犠牲の上に成り立つなんてことがあってはならないし、取材においてそのような関係を求められるようであれば、健全な報道を続けることはできないだろう。
会見では「わたしに不幸にして起こってしまった事件を自ら公にすることで同じ思いをする人が少しでも少なくなればという思いで提訴にふみきりました。それが、記者としての使命であると考えました」という記者のコメントが読み上げられた。
二度と同じような事件を繰り返さないために、取材の現場も、社会も、報道業界各社も、今回の件について重く受け止めて、認識を改め、対策を取る必要があるだろう。
特に報道各社は記者が性被害に遭った場合は、被害者ときちんとコミュニケーションを取ったうえで、必要であれば加害者に対して抗議をし、二次被害を防ぐ手立てを講じるなど、適切な対応を取らなければならない。
世にさまざまな問題を提起するマスコミが模範となる対応を取っていなければ、世間の性被害に対する誤った認識を払拭することは難しいだろう。
今回の事件を教訓に、被害者の思いをくんで、問題の本質を報道する。まずはそこから性被害を断固として許さないという意思を社会全体で作り上げていくことが重要だ。
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(ジャーナリスト 宮原 健太)