歴代2位の通算106三塁打した元東映外野手だった毒島章一(ぶすじま・しょういち)さんが14日に前立腺がんのため東京・武蔵野市内の病院で死去していたことが16日、分かった。87歳だった。
1954年に桐生高から東映に入団。左打ちの俊足選手として右翼を守り、高校時代には投手だったことで強肩好守でも知られていた。オールスター出場8度、ベストナインを3度受賞した。通算106三塁打は、福本豊氏(スポーツ報知評論家)が115本をマークするまでプロ野球記録だった。
1961年から62年にかけて記録した「900打席連続無併殺打」も2001年に金本知憲外野手(広島)に抜かれるまでプロ野球記録だったもので、現在もパ・リーグ記録。
東映一筋で18年間プレー。1962年の初優勝に貢献。2連敗でスタートした日本シリーズ第3戦、6回まで村山実に0行進だった7回に起死回生のソロアーチを右翼ラッキーゾーンに叩き込み、その後流れが変わって4連勝で日本一となった。
暴れん坊集団と恐れられた東映にあって温厚な性格でも知られ、落語が好きで寄席通いが趣味で落語家の知己が多かった。
通算2056試合に出場し、1977安打で大台に23本足らずに現役引退。122本塁打、打率は2割7分7厘。
現役引退後は東映(日拓)の2軍コーチ、太平洋クラブ(クラウンライター、西武)などの打撃コーチや1軍総合コーチやスカウトなどを歴任。西武黄金時代を支えた一人だった。