子どものゲームの利用時間は1日60分まで――。そんな“目安”を盛り込んだ「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」(ゲーム条例)が2020年に施行されてから、3年が経過した。当時は「なぜ、いつもゲームが悪者になるのか」「家庭内のことに政治・行政が入り込むのか」などの声が噴出した。
条例は何が問題だったのか、議論はその後どうなったのか。この問題の取材を3年間続けているKSB瀬戸内海放送(高松市)の山下洋平記者に尋ねた。
目安は「平日1日60分」という条例を制定
ゲーム条例は前文で、
「インターネットやコンピュータゲームの過剰な利用は、子どもの学力や体力の低下のみならずひきこもりや睡眠障害、視力障害などの身体的な問題まで引き起こす」
「脳の働きが弱い子どもが依存状態になると、大人の薬物依存と同様に抜け出すことが困難になる」
などと記し、子どもたちを「ネット・ゲーム依存症」から守るために条例を制定するとうたった。
条例に罰則はないものの、第18条にはとくに議論が集中した。そこでは①子どもにスマートフォン等を利用させる際、家庭内でルール作りを行う、②コンピュータゲームの使用は1日60分(休日は90分)を上限とし、スマホの使用は夜9時までなどとする、③保護者はこのルールを守らせるよう努めなければならない、が示されている。
これに対し、研究者やゲーム業界などからは「ゲーム依存は医学的に証明された疾病ではない」「ゲームの時間制限が依存症に有効とする論拠がない」などの指摘が相次いだ。
ゲームの時間制限は、依存の防止に効果があるのか。条例のポイントはその点にあったが、医療などの専門家は条例の制定時から「依存防止との因果関係が証明されていない」と指摘。1日60分などの制限を示した条例が本当に依存当事者を救うのか、疑問視されていた。
「この疑問は今も解消されていません」と山下記者は言い、三光病院(高松市)での取材を例に挙げた。
この病院はアルコールや薬物、ギャンブルなどの依存症治療に取り組んでおり、2018年にはネット・ゲーム依存専門の「こども外来」を開設。中学生や高校生を中心に50人ほどが通院している。
「高校2年の男子生徒は小学校6年のとき、担任との折り合いが悪くなり、不登校になりました。『右へならえ』的な学校の雰囲気が合わなかったと母親は言います。中学生になっても学校に通えず、自宅で大半の時間を過ごすようになった。そしてゲームにのめり込んだのです。多い日は1日10時間以上。本人は『ほかにすることもなかったから』と」(山下記者)
ゲーム依存で苦しむ当事者や保護者には意味をなさない
山下記者の取材によると、当事者の多くはゲーム依存になる前に、学校生活でのつまずきがあった。ゲームにのめり込んで生活が壊れたのではなく、壊れかけた生活とのバランスを取るためゲームを使っているうち、ゲームの比重がどんどん高まっていくのだ。
条例は、そうした家庭に「1日60分を目安としたルール」を作って守らせることを求めるものだが、当事者の母親らは「機器を取り上げるなど強く出たら、激しく反発され、家庭内紛争になってしまう」と打ち明けた。
つまり、ゲーム依存で苦しんでいる当事者や保護者には、あまり意味を成さない内容なのだ。中には「あの条例は学力を伸ばすためのものですよね? 県は、ゲーム時間とテストの正答率のグラフなどを出して……」と語る学生もいたという。
「ゲーム依存症対策を掲げたこの条例は、課金が数十万円レベルの高額になったとか、昼夜逆転から抜け出せないとか、本当に深刻な事態に陥っている家庭には届いていないと思います。それどころか、乳幼児期からの対応を強調する条文は、逆に親を責め、追い込んでいるのではないかと思います」(山下記者)
ゲーム条例は議員提案の条例であり、推進したのは2019年春に発足した県議会の議員連盟だった。香川県の最大メディア・四国新聞は同じ年の1月からキャンペーン『ほっとけない「ゲーム依存」』を開始しており、その報道に触発されての議連発足だったともいえる。
ところが、条例案をつくる議会の検討委員会は一部が非公開。しかも、議事録も作成されていなかった。
「議員提案で条例を作ろうとしているのに、密室で進めてしまったわけです。議事録もないから、条例案の策定プロセスを後から検証することもできない。近年は、国レベルで公文書の未作成が大問題になっていますが、地方でも同様のことが起きていたわけです」(山下記者)
寄せられたパブリックコメントの「異様」
パブリックコメントの“水増し”も大問題になった。条例案の採決前に香川県議会が募集したパブコメに寄せられた意見は、計2686件。そのうち、賛成は2269件、実に84.5%に達した。
「香川県では普段、パブコメを募集しても数件程度しか集まりません。それなのに2000件を超す意見が集まり、8割以上が賛成。異様で、強い違和感がありました」(山下記者)
山下記者が情報公開請求によって意見の原本を入手したところ、異様さはさらに増した。パブコメの提出方法として案内していなかった県議会HPの「ご意見箱」を使って、数分置きに同じ文面の回答が次々投稿されていたことが判明したのである。
「ネット・ゲーム依存症対策条例が通る事により、皆の意識が高まればいいと思うので賛同します」という同一文面は176件もあった。
「条例通過により、明るい未来を期待して賛成します」が142件、「ネット、ゲームが子供達に与える影響様々ですので、賛同します」が137件……。同一文面の中には、明らかな誤字も繰り返し見つかった。「依存症」を「依存層」、「ご感想」を「ご感て想」、「ネットゲーム」を「ゲットゲーム」などである。
しかし、県議会はパブコメの結果、県民の多くが条例に賛同しているとして、反対意見を押しのけるように採決に踏み切り、条例を成立させた。
「同じ人物が機械的に作業を繰り返した結果でしょう。条例を推進したい何人かの人物が組織的に実行した疑いもあります。パブコメは本来、議会や行政が持ちえていない視点を市民に提供してもらい、政策や立法に生かす目的です。賛否の数を競うものではありません。しかし、ゲーム条例は強引に成立を図ろうとしたため、こうしたことが起きたのでしょう」(山下記者)
山下記者は後に、知人に頼まれて賛成意見をパブコメに送ってしまったという香川県内の女性に取材している。女性は次のように語ったという。
「自分のはっきりした意見があったら後悔していないんですけど、あの時はもう『頼まれたから反対は書けない』というプレッシャーを感じた状態で(パブコメを)送ったので、後悔しています」
全国初の条例施行から3年。県は依存症対策に年間約1000万円の予算を投じているが、その成果や課題が議会で議論されることはほとんどなく、独自の取り組みを全国に向けて発信する姿勢も見られない、と山下記者は言う。
漠たる社会不安に入り込む
香川県議会でゲーム条例の推進役だった議員は、科学的な根拠がないにもかかわらず、「ゲームは脳の前頭葉を壊す」と繰り返し、「ゲーム脳」がいかに有害であるかを力説していたという。
それにしても、なぜゲームやスマホが狙われたのか。
「誰もが不安に感じていることを取り上げ、法的に何らかの“規制”を加えて成果を誇る。議員としての成果を示すには、最もやりやすい方法だったのでしょう。『うちの子はゲームやスマホの使いすぎではないか』という不安は親なら誰もが持っている。そこに、科学的根拠のない法令が入り込んだわけです。漠たる社会不安は、もちろん、ゲームやスマホに限りません」(山下記者)
議論の過程を秘密とし、世論の作為を背景としつつ、ゲーム条例は生まれた。少しでも監視を怠れば、同じようなことは他の地方公共団体でも国でも、簡単に起きるだろうと山下記者は感じている。
Frontline Press