G7広島サミットに急きょ参加し、平和記念公園で原爆資料館も視察したウクライナのゼレンスキー大統領。ロシアの侵攻後に日本に避難したウクライナ人らは、ゼレンスキー氏が被爆地から発信したメッセージをどのように受け止めたのか。
「『ウクライナを再建したい』という言葉に勇気づけられた。私たちも思いは同じです」
ゼレンスキー氏の記者会見の様子をインターネットで見た専門学校生のマリナ・ジュラヴリョヴァさん(23)=大阪市北区=はこう訴えた。
マリナさんは1年前、首都・キーウ(キエフ)から単身で逃れてきた。母国の大学院では日本文学を学んだ。日本の支援団体を頼って来日し、今は専門学校で日本語を学びながら暮らしている。
母国には両親や13歳の弟を残す。キーウはミサイル攻撃が続いているとされ、「連絡を取り合っているが、家族のことがいつも心配だ」と嘆く。
広島で被爆した家族を描く井伏鱒二作の小説「黒い雨」を学生時代に読んだ経験から、1月には広島に足を運んだ。被爆の実相を伝える原爆ドームや原爆資料館を見学し、核兵器の悲惨さに言葉を失った。
「被爆地からの発信は核使用をちらつかせるロシアへのけん制になったはず。祖国への軍事支援や経済支援が広がってくれるとうれしい」と語った。
一方、「広島ウクライナ人会」のメンバー34人は21日午後、広島市内で記者会見した。会見場は平和記念公園隣の施設。メンバーらはウクライナ国旗などを手に、ゼレンスキー氏を乗せた車が公園に到着するのを見守った。
子供2人を連れて今春から広島に避難しているテスレンコ・アンナさん(37)は「大統領に平和の象徴である平和記念公園を訪ねてもらってうれしい。夫の待つ母国に帰るために、早く戦争が終わってほしい」と歓迎した。
約10年前から広島県三原市に住む主婦ガイダイ・オリガさん(37)は「今回のサミットをきっかけに、世界のリーダーたちは原爆が二度と使われないように結束してほしい」と訴えた。【隈元悠太、高木香奈】