日米両軍による地上戦で一般住民を含む約20万人の命が失われた太平洋戦争末期の沖縄戦から78年。犠牲者らを悼む「慰霊の日」の23日、沖縄は鎮魂の祈りに包まれた。この1年も体験を伝えてきた「語り部」たちが次々と他界し、戦争の恐ろしさや無残さを知る人は数少なくなった。バトンを継いだ戦後世代はこの日、武力が再び幅を利かせる世界に、平和の大切さを問いかけた。
沖縄戦の語り部たちが次々と世を去る中、その思いや記憶を受け継いだ若い世代の活動は本格化している。1月に94歳で亡くなった元白梅(しらうめ)学徒隊の中山きくさんを慕い、戦後生まれのメンバーで2019年に結成した「若梅会」もその一つだ。
白梅学徒隊は沖縄戦時に沖縄県立第二高等女学校の生徒で構成され、野戦病院で負傷兵の看護などを手伝った。米軍が近くに迫り、解散命令が出た後、生徒たちは戦場を逃げ惑い、56人中22人が亡くなった。中山さんは1990年代から語り部を始め、多いときには年100回以上も講演。継承活動をけん引した。
若梅会のメンバーは高齢となった中山さんらを支えるとともに、その体験を語り継いできた。当時の女子生徒たちの姿を、若い世代にも身近に感じてもらおうと、制約の多かった戦時下に工夫しておしゃれを楽しんでいた生徒たちの日常も伝える。代表の、いのうえちずさん(54)は「きくさんと同じことはできないが、私たちだからこそできることもある」と語る。中山さんが残した大量の資料は遺族から引き継ぎ、一部はデジタル化して公開していく予定だ。
沖縄県糸満市の白梅之塔では23日、犠牲になった学徒たちの慰霊祭があり、約50人の参列者を前に、いのうえさんが「『思っているだけでは平和は来ない。行動しなさい』という、きくさんの情熱の種は、私たちの胸にしっかり根付いている」と述べた。若梅会の新垣ゆきさん(36)も「平和ははかなく、もろく、繊細な糸のようにちぎれやすい。一人一人が歴史に学び、同じ過ちを繰り返さないよう、記憶の糸をつなぐ行動が必要だ」と継承への決意を語った。
いのうえさんは言う。「きくさんたちがいなくなり、寂しくてたまらない。でも、後ろ向きにならず、私たちにできることを探していきたい」
この日は糸満市伊原の「ひめゆりの塔」でも、看護要員として沖縄戦に動員され、亡くなったひめゆり学徒らの慰霊祭があった。元学徒隊で、ひめゆり平和祈念資料館館長を務めた本村つるさんも4月に97歳で亡くなった。参列した元学徒隊の島袋淑子(よしこ)さん(95)は「次々と亡くなっていくが、生きている限り戦争は絶対にしてはいけないということを伝えていきたい」と語った。【喜屋武真之介、宗岡敬介】
沖縄戦
1945年4月1日、米軍は沖縄本島に上陸。日本軍の組織的戦闘が終わったとされる6月23日まで約3カ月の地上戦となった。死者は約20万人で、うち9万4000人(推計)は一般住民。沖縄出身の軍人・軍属も含め、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる。「集団自決」や日本軍による住民の殺害なども起きた。