「何でまだ生きているの」京アニ事件4年、孫娘失った夫妻に募る理不尽

この4年間、明るい孫娘を思わなかった日はない。京都アニメーション第1スタジオが放火され36人が死亡した事件。犠牲者の大野萌(めぐむ)さん=当時(21)=は念願の京アニに入社後、わずか3カ月で夢だったアニメーターの道を閉ざされた。「これからというときに何もかもが…」。萌さんの祖父母は唇をかみしめる。事件から18日で4年。青葉真司被告(45)の公判が9月から始まる。「何でまだ生きているの」。理不尽な現実が2人を今も苦しめる。
萌さんの祖父、岡田和夫さん(73)と祖母、一二美(ひふみ)さん(69)にとって、事件直後はただつらい日々だった。心配した近所の人から声をかけられても、何と答えていいか分からず戸惑った。
しかし、時間の経過とともに変化もあった。一つは、萌さんの母である実の娘と、昔の思い出を話せるようになったこと。毎日リビングにある萌さんの写真の前で手を合わせる一二美さんは「あっちでも絵を描いているかな」と受け止められるようにもなった。
小学校高学年まで、週末は祖父母の家で過ごすことが多かった萌さん。「ばあちゃん、いるの?」。家にやって来た萌さんが玄関を開けると、すぐに元気な声が響いた。
幼い頃から絵を描くことが大好きだった萌さん。高校生になると、「絵の仕事に就きたい」と本格的にアニメーターの道を志すようになった。京アニが運営する養成塾入りを目標に、高校に通いながらスーパーや結婚式場のアルバイトを掛け持ちし、入塾費用など全て一人で賄った。バイト先から自宅への送迎を担っていたのが和夫さん。「自分に厳しく、負けん気の強い子だった。でも愚痴は一言も言わなかった」と振り返る。
高校卒業後に養成塾へ進み、1年後にはついに京アニの社員となった孫娘。しかしそのわずか3カ月後に事件が起きた。
一二美さんが萌さんと最後に顔を会わせたのは事件の5日前。会うのは1カ月ぶりだった。萌さんと入った店でかき氷をおごってもらい、一緒に食べた。「また(ここに)来ようね」。何げない一言が直接交わした最後の言葉となった。
祖父母の家には今でも、生前の萌さんが仏壇に供えるため購入したまんじゅうの空箱が残っている。「めぐちゃんの物は、きれいなままで大事に残しておきたい」(一二美さん)との思いからだ。
孫娘から、いずれも誕生日のお祝いとしてもらった国語辞典や帽子、ハンカチも残る。それらはすべて、かけがえのない「宝物」になった。和夫さんは携帯電話の待ち受け画面を萌さんの画像から、ずっと変えていないという。
事件から4年を経て、9月5日に青葉被告の初公判が開かれる。事件当初、自らも全身やけどで一時は瀕死(ひんし)の状態だった青葉被告に対し、法廷で事件の真相を語ってもらうためにも「死なせてはいけない」と一二美さんは思っていた。ただ、今では別の感情もわいている。「何でまだ生きているの」と。
真相解明は重要だ。しかし、被告が法廷でどんな主張をしたとしても、大好きだった萌さんは帰ってこない。むなしい現実が2人の胸を締め続けている。(木下倫太朗)
■京都アニメーション放火殺人事件 令和元年7月18日午前10時半ごろ、京都市伏見区の京都アニメーション第1スタジオから出火し、建物内にいた社員70人のうち36人が死亡、32人が重軽傷を負った。ガソリンをまいて火を付けたとして京都府警は2年5月、殺人や現住建造物等放火などの疑いで青葉真司被告を逮捕した。半年間の鑑定留置を経て京都地検はガソリンの事前購入など計画性がうかがえることから責任能力があると判断、2年12月に起訴した。弁護側の請求に基づく精神鑑定も4年3月までに実施された。