原爆投下から78年を迎えた6日、広島市中区の平和記念公園には早朝から多くの被爆者や遺族らが訪れ、思い思いに慰霊碑に手を合わせた。5月に先進7カ国首脳会議(G7サミット)が被爆地で開催されたことを評価する声もあり、「核兵器ゼロの世界」の早期実現に期待する被爆者もいた。
当時14歳だった鈴藤実さん(92)=同市西区=は、爆心地から離れた軍需工場に学徒動員されていて助かったが、市内にいた家族6人全員を亡くした。「核兵器ゼロの世界にならんと広島、長崎に次ぐ第3の街が必ず出てくる。絶対になくすべきだ」と訴えた。G7開催については「慰霊碑の中には私の家族も入っている。世界のリーダーたちに頭を下げてもらっただけでも、とてもうれしかった」と述べた。
7歳の時に父親の社宅の防空壕(ごう)で被爆した野田弘さん(85)=同市中区=。終戦後、遺体の運搬要員を務めた祖父に連れられて目にした遺体の山が今も忘れられないという。ロシアによるウクライナ侵攻について「とにかく戦争をしてはいけない。ただそれだけだ」と力を込めた。
吉田悦子さん(82)=広島県江田島市=は、4歳の時に自宅で被爆した体験を絵に描き、約10年前から自身のSNSで発信しているという。慰霊碑に刻まれた「過ちは繰返しませぬから」という言葉に触れて「全世界全ての人が思うべきことだ」と強調した。
日室美支さん(64)=広島市中区=は、叔母を原爆投下の翌朝に亡くした。「トマトが食べたい」と繰り返しながら息を引き取ったという。「お参りするたびに、この平和が続いてくれるようにと願っている」と話した。
被爆2世の河野まり子さん(70)=同市佐伯区=は涙を浮かべながら慰霊碑に手を合わせた。母親(97)は毎年、千羽鶴を毎年1年かけて折っていたが、今年は指先が動かなくなり、途中で断念したという。「生きて迎える最後の(原爆の)日になるかもしれない」と声を震わせた。
[時事通信社]