沖縄は23日、1945年の第二次世界大戦末期の沖縄戦などで犠牲になった人を悼む「慰霊の日」を迎えた。
住民を巻き込み、約20万人が犠牲になった日米両軍の凄惨(せいさん)な地上戦から今年で80年がたった。23日は最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で、県と県議会主催の沖縄全戦没者追悼式が営まれ、玉城デニー知事や石破茂首相らが参列する。
沖縄戦では45年3月26日に米軍が沖縄本島西側の慶良間(けらま)諸島に、4月1日に本島中部に上陸。6月23日(22日説も)に日本軍の司令官が自決して組織的戦闘が終わるまで地上戦が約3カ月間続いた。
「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の激しい砲爆撃が加えられ、住民は狭い島の中を逃げ惑った。家族の中で互いを手にかけ合った「集団自決」のほか、日本軍による住民のスパイ視や殺害、壕(ごう)からの追い出し、食料の強奪なども起きた。
住民9万4000人(推計)が犠牲になったほか、学徒隊や防衛隊などとして動員されて命を落とした人々も多く、県民の4人に1人が死亡したとされる。
今年5月には自民党の西田昌司参院議員が那覇市での講演で、かつて見たという「ひめゆりの塔」(沖縄県糸満市)での展示内容について「歴史を書き換えている」という趣旨の発言をした。
これに対し、沖縄県議会は「沖縄戦の実相をゆがめ、戦没者や戦争体験者を冒(ぼうとく)し、県民の尊厳を踏みにじるものだ」として抗議決議を可決するなど各地で批判の声が上がった。
さらに、沖縄では米兵による性的暴行事件が相次ぎ、全国の米軍専用施設面積の7割が集中するという重い基地負担の問題も改めて浮き彫りになっている。
23日の追悼式では玉城知事が「平和宣言」を読み上げ、石破首相があいさつする。こうした問題にどのように言及するのかが注目される。
追悼式には県の招待を受け、国連の中満泉事務次長(軍縮担当上級代表)や昨年のノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中重光代表委員も初めて参列する。【比嘉洋】