43人が犠牲となった1991年の長崎県雲仙・普賢岳大火砕流が発生した当時の同県島原市長で、「ひげの市長」の愛称で親しまれた鐘ヶ江管一(かねがえ・かんいち)さんが22日、肺炎で亡くなった。94歳だった。告別式は25日正午、同市の江東寺で営まれる。喪主は妻、保子さん。
同市出身。80年の市長選で初当選し、3期12年務めた。91年6月3日の大火砕流発生を受け、災害対策基本法に基づいて住民の立ち入りを禁止する「警戒区域」を設定。住民が多く生活する市街地が対象になったのは、全国で初めてだった。
在任中は災害対策や被災者支援に奔走し、「山が鎮まるまで」という願をかけて伸ばした白いあごひげと防災服姿がトレードマークになった。退任翌年の93年からは、体験談や教訓を語る講演活動で全国を回り、回数は1000回を超えた。
2001年に瑞宝章を受章。02年からは噴火災害の脅威を伝える雲仙岳災害記念館の名誉館長を務めた。