イランから退避した邦人女性、テヘラン市街地への空爆は「自宅が揺れるほどの衝撃だった」…残る家族の無事祈る

米国とイスラエルによる軍事作戦を受けてイランの首都テヘランから退避し、今月13日に日本へ帰国した邦人女性が読売新聞の取材に応じた。市街地への空爆を「自宅が揺れるほどの衝撃だった」と振り返り、緊迫した現地の様子を証言した。(広瀬航太郎)
「戦争が始まった」
15日に東京都内で取材に応じたのは、音楽講師の女性(52)。日本で出会ったイラン人男性(55)と2001年に結婚し、09年にイランへ移り住んだ。長女(23)と長男(17)は就職や進学の関係で昨年までに日本へ戻ったが、夫、次女(21)とともにテヘラン西部で生活していた。
「ボーン、ボーン」。軍事作戦が始まった現地時間2月28日午前、女性は自宅マンションでミサイルが着弾したような爆音を複数回聞いた。「戦争が始まった」と直感した。
その日のうちにテヘラン市内の幹線道路は避難を急ぐ車列で大渋滞した。ガソリンスタンドには給油待ちの長い列ができた。一方、商店などは通常通り営業していた。緊張感が漂う中、避難せず普段通り生活している人も多かった。
昨年6月のイランとイスラエルの「12日間戦争」を経験していたこともあり、女性は「家にミサイルが落ちることはない」と自らに言い聞かせた。実際、標的になったのは主に政府や精鋭軍事組織「革命防衛隊」の施設だった。ただ、数時間おきに10回ほど鳴り響く爆音は、日を追うごとに自宅に近づいてきた。
「退避するなら本日中に返事をください」
3月1日に最高指導者アリ・ハメネイ師の死亡が発表されると、街角に革命防衛隊の姿が目立つようになった。バスで車道を塞ぎ、自動小銃を持った隊員が検問した。交差点や広場では通行人に立ち止まらないよう指示していた。女性は「反体制派の集会を警戒している」と感じた。
2日、「ドーン」という地鳴りのような音とともにマンションが大きく揺れた。窓に駆け寄ると、300メートルほど先の軍事関連施設から白煙が上がっているのが見えた。
「これ以上とどまるのは安全ではない」と、一時帰国を真剣に考え始めた。5日、現地の日本大使館から電話でバスでの退避の案内があった。「これが最終便になると思います。出発はあさって。退避するなら本日中に返事をください」
夫と次女に相談すると、テヘラン育ちでイランに愛着のある次女は「歴史が変わる瞬間を見届けたい」と譲らなかった。友人や親戚を置いて退避することにも抵抗を感じているようだった。夫もとどまることになり、後ろ髪引かれる思いで女性だけが退避することになった。
7日早朝、アゼルバイジャンとの国境に向かうバスに乗った。約15人が乗り合わせていた。空爆を受けた市内の空港や石油関連施設から黒煙が上がり、真っ黒な雲に覆われる空が車窓越しに見えた。
半日以上かけてアゼルバイジャンの首都バクーにあるホテルに避難し、6日後に空路で成田空港に到着した。栃木県の実家に身を寄せ、両親や長女、長男とも再会を果たした。
「テヘランは空爆が激しくなっている」
女性の出国後、夫と次女はイラン北部の親戚方に避難した。14日に国際電話があり、「テヘランは空爆が激しくなっている」と聞いた。その電話も通信障害の影響で5分で切れた。
軍事作戦の初期の頃は、若者を中心に体制転換を期待するムードが広がったが、実際の動きにはつながらず、女性が出国する頃にはそんなムードも霧散していた。
戦禍は終わりが見えない。女性は家族の無事を祈り、平和が訪れる日を待ち望んでいる。