こちらの懐中時計は、太平洋戦争で「ビルマ」現在のミャンマーに出兵し、命を落とした福岡県飯塚市出身の男性が身につけていました。この懐中時計が去年12月、80年の時を経て奇跡的に息子の元に戻りました。
■小山英機さん(83)
「父が戻ってきたような感じで、偶然も偶然ですね。」
さびついた時計を見つめながら父への思いを語るのは、福岡県飯塚市の小山英機さん(83)です。
英機さんの父、正人さんは1942年、陸軍から臨時招集を受け「ビルマ」、現在のミャンマーに出征しました。
■小山英機さん
「遺言状では、ちゃんと記録に残っています。もう亡くなるけれど、あとは頼むと。覚悟していたと思うんですよね。」
父・正人さんが遺言状を残して向かった「ビルマ」は、日本軍がアメリカやイギリスなどの連合軍と戦った太平洋戦争の激戦地でした。
終戦翌年の1946年、正人さんが亡くなったという知らせが家族に届きました。遺骨は戻ってきませんでした。
正人さんの入隊後に生まれた英機さんに、父の記憶はありません。
その父との唯一のつながりは、戦地から送られた60通を超える手紙です。
■小山英機さん
「進路を決めたり、相談がある時には、父がいたらアドバイスをくれるのではないかと思って(手紙を読んで)いました。」
1年半ほど前から、英機さんの娘、愛子さんが「手紙をこのままにしておくのはもったいない」と、内容の読み解きを始めました。
手紙につづられていたのは、日本に残した家族、そして息子の英機さんへの愛情でした。
『男子の場合は英機、女子の場合は民子と命名してほしい。英機も文子(英機さんの姉)も皆すこやかに成長する様を写真で見て安心致しました』
正人さんの生きた証を追っていた親子のもとに去年11月、厚生労働省から突然、知らせがありました。
■小山英機さん
「遺留品が見つかりましたと来たので、うそだろうという感じでした。」
戦没者の遺骨収集などを行う厚生労働省の派遣団が、ミャンマー中部で懐中時計を発見しました。
一緒にあった認識票の番号から、正人さんの持ち物であったことが特定されたということでした。
■小山英機さん
「信じられなかったですよ。父が戻ってきたような感じで。」
「ビルマ戦線」で命を落とした日本兵は、18万人に上るといわれています。
正人さんのように戦地で亡くなった日本兵の遺品や遺骨が、家族に戻ることは多くはありません。
厚生労働省の記録では、現在も3000以上の遺品が様々な理由で、遺族の元に届けることができない状況だということです。
■小山英機さん
「戦友がたくさん亡くなっていて、その人たちの代表みたいな感じで。発見されてうれしいですが、戦争をしたらいかんということが今でもずっとあるんですよ。」
英機さんはこの日、父、正人さんゆかりの神社を訪れました。
入隊前の正人さんがよく足を運んでいたという、飯塚市の神社、天照大神宮です。
正人さんは神社に灯籠(とうろう)を寄付していて、灯籠には正人さんの名前が刻まれています。
今回、ミャンマーで見つかった懐中時計のそばで、正人さんとみられる遺骨が見つかりました。
■小山英機さん
「遺留品は受け取ったよ。DNA鑑定で(父である)確率が高いらしいから、ぜひそうだったらいいねと。」
DNA鑑定の結果が出るには1年以上かかるといいます。
その英機さんが思いをめぐらせるのは、今も戦地に残る多くの日本兵の遺骨です。
■小山英機さん
「戦争がいかに残酷なことか、つくづく思う。行方不明者がたくさんいて、海に沈んだ人は引きあげられない。戦争は絶対にしたらいかんと思いますね。」
長い時間を経ても消えることのない、戦争の現実。
時を刻むことのなくなった時計は、80年の時を越えて、平和の意味を私たちに問いかけています。
※FBS福岡放送めんたいワイド2026年3月3日午後5時すぎ放送