※本稿は、宇津木愛子『救国の総理 高市早苗』(Hanada新書)の一部を再編集したものです。
「普通」という語は聞き流され易い、あまりにもさりげない語であるが極めて重大な概念を表す。そして、大変に残念なことではあるが、この「普通」を全く理解できない日本の政治家がなんと多いことか。
高市総理が2026年1月に行った解散総選挙の発表の中で使ったキーワードのひとつがこの「普通」であった。ある記者が質問で「高市内閣の政治が右傾化しているという意見があるが」と問うと、総理は「右傾化ではなく、普通の国にするだけです」と迷わず、さりげなく、それでいながら風格のある回答をした。
「普通」という概念が人間社会においていかに重い意味をもつか考えてみたい。政治の話とはかけ離れた日常生活の話であるが、日本の社会では財布を拾ったら警察に届ける、駅であれば駅員さんに渡す、これが「普通」である。
忘れ物常習犯の私は大きな書類バッグを網棚の上に置いて降車してしまったこともある。100パーセントの確率で手元に戻ってくることを体験している。忘れ物のみならず、フードコートでテーブルに荷物を置いたまま、歩き回っても盗まれたことなど一度もない。
これが日本社会の「普通」である。ところが海外のどの国の人の目にも、これは決して「普通」ではない。つまり「特異」もしくは「異常」なことと捉えられる。そして、この特異性、異常性を「素晴らしい」と判断する。
他方、何か特別な理由があって、否定的に、例えば「気味の悪い国だ」「他人に頼り過ぎる国だ」など、「普通」を受け入れられない人は必ずいる。何か事情があって、屈折した判断に行きつく人もいるだろう。
「普通」であることは安倍総理の理想でもあった。著書『美しい国へ』(2006年)の中で、自分の国を自分たちで守る「普通の国」になることを主張した。案の定、「普通」を理解できない論者やメディアから、軍国主義への回帰というレッテルを貼られ危険な思想であると辛辣に批判された。
高市総理にとって政治家が国家を豊かにすること、国民の命と生活を守ること、不安を安心と希望に変えること、それはごく「普通」のことである。少なくとも高市総理の政治理念においては「普通」以外の何ものでもない。
ところが、これを「右傾化」と呼ぶ人がいる。失くしたお財布が見つかる日本の「普通」が海外の人々にとっては特異であり、それを素晴らしいと解釈する人の方が圧倒的に多いという既成事実を念頭に置いて政治の世界を眺めてみよう。一部の政治家にとっては高市総理のように「国民の不安を安心と希望に変える」ことは決して「普通」のことではないだろう。
そしてこの特異性を素晴らしいと判断できずに、ただ「右傾化」というレッテルを貼り付ける。そういう政治家たちの側の心の屈折であることに彼らは目を向けようとしない。
政治家だけではないのが日本社会の病魔である。オールド・メディアである。そしてオールド・メディアの偏向報道で屈折した考えを強いられた一般国民や、もともと日本に敵意を抱く国と類似した思想をもつ人々も反・高市側にまわる。
情報空間の中でこのような歪んだ媒体が支配的な位置を占めてきた。高市効果のひとつに挙げられるのが、この社会の病魔とも呼べるオールド・メディアという媒体が弱体化したことである。偏向報道という卑怯なやり口に目覚めた国民がオールド・メディア離れを始めた。
「テレビを見ない」人口が急増している。あまり政治に興味がない人々の目にも明らかに奇異に思われる報道が目立つようになったからである。例を挙げれば限りないので、一件だけ紹介する。
2026年1月の衆院選の発表を受けて日本テレビが企画した党首討論番組において見せた邪悪な印象操作である。偏向報道で悪名高い女性アナウンサーが番組の冒頭でいきなり高市総理に質問した。党首たちが話し合いを始める前に、まず視聴者に向けて印象操作を行った。こんな質問をした。
「高市総理はある番組で2026年内に食料品の消費税をなくしたいという希望を述べ、他の番組でそれは総理個人としての意見であると述べた。そうなると有権者は総理の意図することと自民党が意図すること、どちらを信じて投票して良いのか分からない」
総理は直球で答えている。「自民党の公約で判断してください」。巧みに言葉を操って国民が「総理は信用できない」と感じる方向に印象操作する。これがオールド・メディアの悪質な手法のひとつである。
テレビの報道番組の偏向報道、印象操作に目覚めた国民は一次資料に基づいて判断する。高市総理の例で言うと、ネットで検索して総理のスピーチを直接に聞き、総理の立ち居振る舞いを直接に観察する。
その結果、多くの国民、とりわけ若者の間で高市総理と高市内閣の支持者が圧倒的多数を占めるようになった。90パーセント以上の若者(18~29歳)が高市内閣を支持するという世論調査が発表されている(産経新聞〈電子版〉2025年12月22日「高市内閣、18~29歳の支持率92%若者世代で圧倒人気…全世代65%超 政策も好感」)。
驚くべき数値である。情報操作によって屈折を受けることのない極めて健全な情報空間が広がりを見せつつある。
これを実証できるかもしれないあるエピソードを次に紹介したい。若者たちの極めて「普通」の会話であった。2025年の年末に、既に社会人になっているかつての教え子たちと会食をした。私は一日の疲れもあり、ぼんやりと夢見心地で聴いていた。そして、ある卒業生の言葉に、はっと目を覚ました。
「政治家とか政治屋とかいうのが話題になったことがあったけど、高市さんは、どっちでもないと思う。例えば医師とか弁護士とかいうように、政治師(士)って感じがする。今まで政治家っていうのは肩書の名称って感じだったけど、高市さんの場合は働く人の職業の名称みたいな気がする。政治は実務であって、僕らと同じに働いて功績を出して、しかもスピードが伴わないと評価されない世界の人みたいに感じる」
若者たちがこんなに生き生きと政治家について話す姿を初めて見た。日本の政治の世界で、何かとてつもなく大きな変化が起きていることを実感する瞬間であった。
やがて子をもち孫をもつ若者たちが、その世代のことまで考えて政治を進めてくれている高市総理の存在の有難さを心のどこかでキャッチしているのだろう。そう思うと胸が熱くなった。彼らは右も左もなく素朴、かつ「普通」の感覚で高市総理を眺めている。
高市総理は2026年の解散総選挙に先立って、政治空白を作らないように次々と政策を実施したこと、また将来のヴィジョンをもち「今ならぎりぎり間に合う」という緊張感をもって取り組んでいることなど、見事な国家運営を実現している。そこには、国民が1日も早く安心できる豊かな生活を「普通」と感じられるよう努めるという使命感が感じられる。
国民にとって幸せが「普通」になるよう努めることが、総理自身にとって、いかに激務であるかを多くの国民、とりわけ若者たちはしっかりと見ている。そして感謝している。
高市総理がガラスの天井よりはるかに分厚い政治の世界と一般庶民、とりわけ若者たちとの間のコンクリートの障壁を見事に取り払ったことを実感できたお好み屋さんでの貴重なひと時であった。
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(慶應義塾大学名誉教授 宇津木 愛子)