「何で俺が蹴られなきゃならんか」国の誤った隔離政策がもとで家族も差別 偏見差別を恐れて補償請求できない人も【ハンセン病家族訴訟の勝訴から7年】

ハンセン病家族訴訟は勝訴から7年が経ちました。ハンセン病は、「らい菌」によっておこる病気で、感染力は極めて弱く、戦後、薬で完全に治るようになりました。
しかし、国の誤った隔離政策がもとでかつての患者だけでなく、家族も差別されたのです。国が責任を認め、家族に謝罪しましたが、被害からの回復は7年たったいまも進んでいません。
家族も差別され 深刻な人生被害を受けた
2019年7月24日

(当時の安倍総理)

「みなさんにとって大切な人生において、大変な苦痛と苦難を強いることとなってしまいました。心から深くお詫びを申し上げます」
「親が、きょうだいが、ハンセン病だった」

ただ、それだけなのに、苦しいばかりの人生でした。
かつての患者に対する誤った隔離政策がもとで家族も差別され、深刻な人生被害を受けたのです。
岡山県を含む全国の560人あまりが、国に謝罪と賠償を求めたハンセン病家族訴訟は7年前、勝訴が確定。国は過ちを認め、家族の名誉回復を約束したはずでした。しかし…。
いまも 回復者と家族は孤立している
(家族原告 奥 晴海さん 鹿児島県・奄美大島在住)

「(ハンセン病家族の)男性が、誰も頼る人がいなくて、誰にも見守られることもなく、去年、まだ50歳前後だけどひとりで亡くなって」
今年5月、鹿児島県奄美市で開かれた、ハンセン病市民学会です。報告されたのは、回復者と家族がいまも地域で孤立している現状でした。
(回復者と家族を支援する 大槻倫子弁護士)

「奄美の退所者の皆さんも家族の皆さんも、やはり周囲に、ハンセン病の回復者であり家族であるということを知られたくないという方々ばかりなので」
「ハンセン病のことをコジキって言っていた」
今も根深い、ハンセン病への差別・偏見です。奄美大島には、国の療養所のひとつ、奄美和光園があります。ピーク時には360人以上がいましたが、いま、入所者はわずか6人。ここを終の棲家と決め、静かに暮らしています。
家族訴訟の原告のひとりとして、7年前、私たちの取材に応じてくれたのが赤塚興一さんです。赤塚さんの父親は、戦後間もなく、和光園に強制収容されました。
(家族原告 赤塚 興一さん 鹿児島県・奄美大島在住/2019年のインタビュー)「後ろから足で蹴られたりとかね、学校帰りに、先輩に。わけがわからん、何で俺が蹴られなきゃならんか、と思ったりもしたり。ハンセン病のことをこっちでは『コジキ』って言っていたんですから。それはトラウマ、完全なトラウマですよね」
ハンセン病ではなかった父親までも隔離され 孤児になった
祖母と母親が和光園にいた、奥 晴海さんも、当時、取材に応じてくれました。奥さんは、ハンセン病ではなかった父親までも隔離されたことで孤児となりました。
「ハンセン病の子ども」とさげすまれ、預けられた親戚の家では労働力として扱われました。
(家族原告 奥 晴海さん 2019年のインタビュー)

「大変なところに来たなあって、ほんと迷惑な子がここに来たみたいな感じになってきたのも、子どもながら顔を見たらわかりましたよ」
「やっぱり自分の心の中に染み付いた傷だけは一切消えないので、そこだけは国にしっかりわかってもらいたいと私は思っていますよ」
偏見差別を恐れて補償請求できない人も多い
2019年6月28日/熊本地裁
(米澤秀敏記者)

「勝訴の判決です。家族の人生被害を熊本地方裁判所は認めました」
2019年。熊本地裁は国に謝罪と賠償を命じ、国が控訴を断念。判決を受け、家族に補償金を支払う法律もできました。国は約2万4000人が補償の対象と想定していますが、請求した家族は4割にも満たず、請求期限が当初の2024年から2029年に延長されています。
(回復者と家族を支援する 大槻倫子弁護士)

「偏見差別を恐れて補償請求できないという人も多いと思うんです。そういう中でも周囲に知られないようにプライバシーは守るかたちで補償が受けられる仕組みというのがありますので、ぜひ厚労省なり、弁護団でもいいんですけど、ご相談いただいて、謝罪と補償はぜひ受け取っていただきたいなと思っています」
ハンセン病だった父親を嫌い、隠すように生きたことへの「贖罪」
(家族原告 赤塚 興一さん)

「母子家庭っていうかたちで、いまみたいにいろんな補助があるわけじゃない時代なんですよ。だから親代わりになって、私は働かざるを得なかったですね」
赤塚さんは、ハンセン病だった父親を嫌い隠すように生きてきました。そのことを悔やみ、88歳になったいまも、「贖罪」の思いで啓発活動を続けています。
奥さんがいま感じているのは奄美に暮らすハンセン病回復者と家族の「絆の修復」の難しさです。
「あんまり関わりたくない」という言葉がやっぱり出る
(家族原告 奥 晴海さん)

「(ほかの家族の)話を聞いていたら『もう親も亡くなっていないしね、あんまり関わりたくないしね』そういう言葉がやっぱり出るんですよ。でもやっぱりそれは真実だろうと思う。私だってそういう思いもあるけれど、私はここまで自分がやってきているのがあるので」
「この裁判だって私たちがあのとき『やります』と言わなければ、絶対後悔していただろうと思うし。思い切ってやってよかったなと思ってる、いまは」
解決とはほど遠い、ハンセン病をめぐる問題です。
まだまだ「知らなかった」という人が多い
(大槻倫子弁護士)

「まだまだ『知らなかった』という方がすごく多いんですね、回復者の方だとか、家族の方の話を直接お聞きいただく、もしくは療養所に足を運んでいただくということがもしできれば、ハンセン病問題っていうのはこんな問題なんだっていうことについて理解をしていただけるし、まず『知っていただきたい』ということ、知っていただいたうえで共に偏見差別のないハンセン病問題に限らず、あらゆる偏見差別のない社会の実現にむけて一緒に取り組んでいただけるようなことをお願いできればなと思います」
家族の被害をもたらしたのは誰なのか
3つのハンセン病療養所があるこの岡山・香川にも、未だ名乗り出ることができないご家族がいらっしゃるかもしれませんね。
大槻弁護士は、回復者と家族が孤立せず地域で安心して暮らせるよう、身近な相談体制を全国にくまなく整備する必要があると指摘します。
相談したいことがある方は、秘密は守られますので、まずは気軽に厚労省(03-5253-1111、内線2369疾病対策課ハンセン病係)か、ふれあい相談センター(03-6276-1108)にご相談ください、とのことです。
家族訴訟弁護団の德田靖之弁護士は
「社会の側はハンセン病問題は終わったと思ってしまっていて、自分は差別をしていないと思い込んでいるから、隠しながら生きていることの辛さを理解しないわけです。家族の被害をもたらしたのは誰なのか。他人事のように考えているあなたたちが、家族をまだそういう状態においているんじゃないんですか、と言いたいです」
と話しています。