乗員乗客520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故で娘2人を亡くした堺市の山岡清子さん(80)は今年、高齢により慰霊登山を断念した。清子さんは事故から41年となった12日、自宅近くに移した娘の墓で静かに手を合わせた。(前橋支局 河野夏帆、金城英大)
清子さんは12日夕、夫の武志さん(89)、長男の直樹さん(59)とともに2人が眠る墓に足を運んだ。墓は自宅から歩いて1分ほど。墓前に2人が好きだったコーラと花を供え、「3人ともこんなに近くにおるよ」と心の中で優しく語りかけた。
事故の約1週間前、長女、知美さん(当時16歳)と次女の薫さん(当時14歳)は夏休みを利用して、神奈川県横須賀市の祖母宅を訪れていた。当初は新幹線で帰る予定だったが、キャンセル待ちをしていた飛行機のチケットが取れたことで、事故機に乗ることになった。
2人とも明るく活発で、清子さんとは友達のように仲のいい親子だった。事故前には3人で手をつないで買い物に出かけ、それぞれがお気に入りのワンピースを購入した。
「お母さんと分かるように、ワンピースを着て迎えに来て。私たちが探すから」。2人は祖母宅に行く前に言っていたが、その約束は果たせなかった。「私を探してくれるどころか、2人ともいなくなってしまった」。つらい記憶が残るワンピースはその後、一度も着ていない。
清子さんはこれまで、命日にはほぼ毎年、武志さん、直樹さんとともに慰霊登山を続けてきた。しかし、武志さんが昨年5月、脳梗塞(こうそく)で倒れ、車椅子生活になった。清子さんも腰や背中を痛め、医師からは「次に転んだら歩けなくなる」と告げられた。昨年は「登れなくなったら、おぶってあげる」と言ってくれた直樹さんと一緒に、通常は墓標まで30~40分ほどかかる登山道を約1時間半かけてようやくたどり着いたが、直樹さんは清子さんの体調を心配しており、慰霊登山に区切りをつけることにした。
「少しでも近くにいたい」と、2人の墓を大阪府阪南市から自宅近くに移したのは今年3月。以来、朝、昼、晩の1日3回足を運び、日々の出来事を報告してきた。
御巣鷹の尾根に行けなくなっても、墓に来ればあの頃のままの2人の笑顔が脳裏に浮かんでくる。「これからも毎日会いに来るよ」。清子さんはそう約束した。