路線バスを降りた乗客が、バスの後ろを回り込むように道路を渡り、対向車などにひかれる事故が起きている。昨年8月、横浜市内では小学5年生の女児が亡くなった。交差点に死角を作る危険なバス停はなくしてほしい。そんな思いから、女児を失った家族が取材に応じた。(読売新聞社会部「#危険なバス停」取材班)
「一番悪いのは対向車の加害者でしょう。でも、バス停が横断歩道のそばにあったことも事故の一因だと思う」。小学5年生だった渡辺ゆり
愛
( あ ) さん(当時10歳)の一周忌を前に、母は語った。
ゆり愛さんは昨年8月30日午後4時20分頃、横浜市西区の道路を渡っていて左から来たワゴン車にはねられた。公園で友達と遊び、家の近所までバスで帰って降りた直後だった。
事故が起きたのは、信号機のない市道だった。バス停に止まった市営バスの後部は横断歩道を塞ぎ、車体の陰から出てくる形になったゆり愛さんに、時速30キロ程度でバスとすれ違おうとした運転手の反応が遅れた。
◇
その頃、母は家で夕飯の支度をしていた。
ゆり愛さんの好物の豆腐ハンバーグを作っていると、ママ友から電話があった。「ゆり愛ちゃんが交通事故に遭った」。よもや大事故とは思わず、ちゃんと家の雨戸を閉め、保険証を手に病院に出向いた。すると、医師から告げられた。「ごめんな、お母さん、助けてやれなくて」
そして、「こちらへ」と別室に連れて行かれ、白い布にくるまれた娘の姿が視界に入り……。記憶はほぼ途切れてしまっている。
その3か月前の母の日、ゆり愛さんは一輪の赤いバラをプレゼントしてくれた。花屋さんに「バラをください」と言ったら財布に300円しかなくて、100円まけてラッピングまでしてもらったと後で聞いた。「私がバラ好きと知っていた。すごく私を思ってくれているのかな。そう、うれしくて」
ゆり愛さんは体を動かすのが得意で、運動会ではリレーの選手を任された。昨年6月の夏祭りでは水色の浴衣を着て大人びた表情も見せるようになった。病気で伏せる母に、保冷剤や水枕、タオルを運んでくれた。
日に日に頼もしくなるまな娘の成長と、それを見守る家族の笑顔。失われてから、1年がたった。
◇
横浜地裁は1月、ゆり愛さんをはねた運転手の男性(36)を禁錮2年6月、執行猶予4年とした。判決は、男性が安全確認義務を怠ったことを非難しつつ、こうも指摘している。
<事故現場は、バス停と交差点が近接しすぎており、バスが横断歩道にまたがって停車する状況だった>
事故現場のバス停は近所でも危ないとうわさだった。事故の後、横浜市はバス停を横断歩道から遠い場所に移した。が、母はこう思えて仕方ない。「もっと早くバス停を移設していれば、ゆり愛は死なずにすんだのではないか」。傍らで、ゆり愛さんの大学生の姉も涙ながらに口を開いた。「ゆり愛は私にとって、かけがえのない存在だった。1人の命の重みをもっと感じてほしい」
家の祭壇には遺骨が置かれている。いつまでも一緒にいたいから。
「ゆり愛の死を無駄にしたくない」。それが、家族が今回、メディアの取材を受けた理由という。
◇
まず、1本の動画をご覧いただきたい。読売新聞社会部の記者が撮影した横浜市内の2か所のバス停である。
動画のURL(https://www.yomiuri.co.jp/stream/2/13059/)
最初のバス停は、路線バスが乗降のために停車中、交差点を塞いでしまっている。後続のごみ収集車のドライバーはじりじり待ったのだろう。バスが去った途端、左に曲がろうとして横断歩道を渡る歩行者に気づき、慌ててブレーキを踏んだようにみえる。もう一か所のバスは、バス停に止まると完全に車体が横断歩道をまたぎ、後続車が何台も勢いよくバスの脇を追い抜いていく。
交通事故は、人をはねた加害者と、はねられた被害者が当事者となる。でも、果たしてそれだけだろうか。
取材班はこの夏、私たちの身の回りに存在する「危険なバス停」を調査した。次回、その結果を報告したい。
※ご意見、ご感想を読売新聞社会部<[email protected]>までお寄せください。