沖縄の「宝」である首里城が消失し、復元へ向けた支援の輪が全国で広がっているなかで、悲しみに打ちひしがれる沖縄の人々に追い打ちをかけるような悪質なデマがネットで流れている。
この手の悲劇が起きるたび、「中韓の犯行ではないか」「いや、反日左翼の自作自演だ」なんて流言が飛び交うのは毎度のこととして、今回驚くのは、一部で「沖縄県が悪い」と言わんばかりの印象操作が行われていることだ。例えば、某ニュースサイトのコメント欄には、こんな感じの投稿がされて、数千を超える多くの支持を得ている。
「これまで首里城の管理を国がしていて、場内でのイベントは原則禁止されていた。今年2月以降に管理が県に移って場内でイベントが解禁となった。その途端に今回のような火災が起きた」
結論から申し上げると、これは真っ赤なウソだ。
国が管理していたときから首里城ではフツーにイベントをやっている。正月には今回焼失した正殿の前で演奏や琉球王朝時代の儀式が再現される「新春の宴」が盛大に行われているし、毎年秋になると夜の9時まで正殿前の舞台で、琉球舞踏などが見られる「中秋の宴」というイベントが開催される。県に管理が移行してから「柔軟な利活用」を目指していたのは事実だが、この2月を境に首里城のイベント方針がガラリと変わったわけではないのだ。
もちろん、もっか原因を調査中なので城内のイベント準備が関係ないとは断言できない。が、もしこれがイベント関係者の火の不始末だろうが、分電盤のショートのせいだろうが、ここまで甚大な被害を招いた「真犯人」は別にいる。
それは「大人830円」という「安すぎる入場料」だ。
世界の常識、日本の非常識
世界を見渡せば、その国の文化や歴史を代表するような木造建築は、高い入場料、拝観料を徴収するのが「常識」となっている。職人がひとつひとつ手作業をしなくてはいけないというコストはもちろんのこと、一度燃えたらあっという間に延焼してパアになるので、防火設備に金にかけるからだ。
例えば、世界遺産「キジ島の木造教会建築」の中の一つで、ロシア最古の教会であるプレオブラジェンスカヤ教会の入場料は880ルーブル、現在のレートだとおよそ1500円だ。映画『アナと雪の女王』に登場する城のモデルにもなったゴル・スターヴ教会をはじめ、ノルウェー国内の伝統建築を集めたノルウェー民族博物館は公式Webサイトを見ると、大人は160クローネ。日本円だと2500円である。
この傾向はアジアも変わらない。日本以上の観光大国であるタイのパタヤで、1981年から工事が続けられ、「アジアのサクラダ・ファミリア」とも呼ばれるサンクチュアリー・オブ・トゥルースの入館料は、タイ国政府観光庁のWebサイトでは、「500バーツ~」とあり、こちらも現在のレートでは1795円だ。
琉球王国の宮殿再現という歴史的価値に加えて、琉球舞踊や伝統的儀式を現代に伝える文化継承の場という意味では、首里城はこれらの木造建築と比べてまったく遜色ない。しかし、入場料はその半分から3分の1である。つまり、今回の被害を拡大させたのは、市民体育館レベルの「安すぎる入場料」しか取っていなかったことで、世界の木造建築では当たり前のメンテナンスやセキュリティが実現できていなかった可能性が高いのだ。
多くの識者が指摘しているように、県内最大の木造建築物だった首里城には、あまりにお粗末な防火設備しかなかった。正殿には外から火がくるのを防ぐドレンチャーという消火設備のみで、周囲には放水銃4基があったが、今回の火災では熱で近づけなかったため使用すらされていない。
なぜお粗末な防火設備だったのかというと、首里城の施設保全や利用者の安全対策のために費やすことができる予算が少ないからだ。では、なぜ少ないのかというと、「安すぎる入場料」のせいだ。
入場料収入が潤沢であれば
沖縄美ら海水族館と首里城の管理が国から県に移ったことを報じた今年2月9日の「琉球新報」には、国が所有するこの2つの施設の使用料財源を「両施設の入場料と売店収入で賄うため、県の財源からの支出はない」としている。つまり、これらの施設は入場料などにかなり依存しているということだ。
入場料収入がそれなりに潤沢であれば、使用料だけではなく首里城の管理や保全に回せたので、お粗末な防火設備もちょっとはマシになっていた。そのような意味では、あの惨状を招いたのは、「安すぎる入場料」のせいという側面もあるのだ。
「問題はそんな単純ではない」という意見もあるかもしれないが、「カネ」が問題ではなかったとすると、この首里城公園を長く管理してきた、内閣府沖縄総合事務局国営沖縄記念公園事務所、独立行政法人都市再生機構九州公園事務所の「怠慢」ということになってしまう。
首里城公園は年間280万人が利用して、今回焼失した「有料区域」にも年間180万人が訪れる。これはサンリオピューロランドの年間利用者数とほぼ同じ。そんな「観光施設」になぜスプリンクラーをつくらなかったのか、という安全意識の乏しさを糾弾されて然るべしなのだ。
と言うと、「木造建築にスプリンクラーが現実的に難しい」なんて、とにかく「何も対策しなかった」ことを正当化しようとする方たちが出てくるが、首里城よりも年間入場者数が少ない姫路城は、屋内外消火栓、消火器、火災報知機はもちろん、スプリンクラーも天守群だけでなんと1000カ所以上設置されている。
もちろん、これだけの設備を国宝、しかも世界遺産にも指定されている巨大木造建築に行うことに否定的な意見もあったが、管理者の姫路市は踏み切った。姫路城管理事務所の担当者によると、「城の出入り口が1カ所しかなく、中の階段も急勾配で、繁忙期には800~1000人が滞在するため、消防活動がしづらいと判断した」(夕刊フジ 2019年11月3日)という。
文化財にスプリンクラー設置の法的義務がないうんぬん以前に、これだけ多くの観光客が訪れる施設の管理者として当然なすべき「安全対策」だというわけだ。
だからこそ、「高い入場料」が必要
首里城公園Webサイトの「時間帯別入場者数」の中で、イベント「首里城祭」がある10月1日~10月31日の時間帯別入場者予測(前年度実績)を見れば、朝9時~10時の間に1200人以上も入場している。
では、姫路城を上回る人々が押しかける人気観光施設を管理してきた国は、なぜ姫路市のような発想に至らなかったのだろう。歴史的建造物ではなく復元した施設ということで軽く見ていたのか。いろいろな可能性が頭によぎるかもしれないが、普通に考えれば国の国営公園整備事業の中で「優先度が低い」と判断された、という説明が一番しっくりこないか。
要するに、限りある予算の分配レースの中で、「どの文化財も金がないと困っているところに、なんで法的にも整備の必要がない設備に大金をかけなくちゃいけねーんだよ」と放置され続けたのだ。
こういうギスギスしたカネの話になってくると、日本人は「カネだけがすべてではない」とか「歴史や文化を守ろうという心が大事」みたいな精神論方向へ流れがちだが、実は首里城のような文化や歴史を後世に伝える施設や、文化財などの場合、老朽化対策や修理、そして防火・耐震などカネで解決できる問題が山ほどあるのだ。
だが、このカネがないというシビアな現実がある。多くの自治体が人口減少で財政難に陥り、国もインフラ整備や社会保障のコストが雪だるま式に増えている。「いつ起きるか分からない地震」「いつ発生するか分からない火災」「仏像や木造建築の崩壊」に費やせるカネはどんどん減っていく。
だからこそ、「高い入場料」が必要なのだ。
入場料を諸外国並に1500~2000円程度上げれば収益も上がる。もちろん、展示や体験に値上げに見合うだけのものにしなくてはいけないが、そのように施設の価値が上がれば、貸切やイベント使用料も上げられる。このように一般の観光施設のように、維持費を自力で捻出できれば、お粗末な防火設備にも手を加えられる。
もちろん、この「高い入場料」は観光客だけに限った話だ。沖縄県民は「地域住民割引」でこれまで通りの830円で、修学旅行などの教育目的も安くていいだろう。しかし、県外から訪れる日本人観光客、そしてフェリーでやって来る中国、韓国、台湾の観光客、欧米からの観光客からはビタ一文負けることなく、2000円くらいを取るべきなのだ。
なぜかというと、観光客というのは日本人だろうが中国人だろうが、混雑やゴミ問題など多かれ少なかれ地域の人々に迷惑をかけているからだ。一方、地域の人々は、このような施設が伝える歴史や文化を守る担い手である。これくらいの「差」をつけるのは、どこの国でもやっている。
例えば、世界遺産アンコールワットにもその復元や補修に莫大なカネがかかるので、入場料もそれなりに高い。筆者が訪れた2年前も大幅に値上げして4000円くらいになっていたが、カンボジア人はタダだ。また、外国人観光客が払う入場料の一部は、地元の子どもたちがかかる病院に寄付されている。
悪意のない文化破壊
今回の火災を受けて、「こういうリスクもあるので、文化財の中を開放したり、イベントで貸し切らせたりするのは慎重になるべき」という意見が出てきているが、それはまったくの逆で、今回のような火災をさらに増やすことにしかならない。
首里城のような施設や、文化財を矢印に沿って見学するだけのお勉強の場にすると当然、利用者は減っていく。刺激的な異文化体験をしたいと訪れる外国人観光客は退屈だし、日本人も一部の歴史好きや、文化財めぐりが好きなシニアしか楽しめないからだ。
人口減少で入場料収入は年を追うごとに減っていく。人口減少で税収が減っていく中でも、年金、医療、福祉、老朽化したインフラに優先的にカネをつぎ込まなくてはいけないが、首里城や文化財という「ぜいたく品」に多くの公金を入れない。
すると、どうなるかというと、設備がボロくなる。歴史的な建造物の補修もおざなりになる。そして、最後は、防火設備や耐震という「目に見えない安全対策」がガッツリと削られるというわけだ。
このあたりは、2000万点の貴重な収蔵品が焼失したブラジルのリオデジャネイロで発生した国立博物館の火災が分かりやすい。リオ五輪で無理につぎ込んだインフラ投資が引き起こした不況で財政がボロボロになって、博物館周辺の消火設備のメンテナンスにカネが回らなかず火災時に使えず、そのために消火が遅れてしまったのだ。
今回の首里城焼失はこの地球の裏側で起きた財政難による文化財焼失と丸かぶりだ。日本人は自分たちの国は、ブラジルよりも「豊か」だという自負があるのでなかなか認めたがらないが、本質はまったく変わらない。
「低すぎる入館料」は一見、「文化や歴史を誰でも気軽に学べて素晴らしい」という状況をつくっているように見えるが、長い目で見れば、その文化や歴史を内側からガタガタにしてしまっているのだ。
この「悪意のない文化破壊」を見ていて、ずっと何かに似ているなとずっと考えていたのだが、最近それが何かようやく分かった。日本の低賃金労働だ。
日本の賃金は「異常」に低い
ご存じのように、日本は先進国の中で「異常」ともいうほど賃金が低い。最低賃金ではとても憲法で保障される「健康で文化的な最低限度の生活」を営むことはできない。しかし、賃金をあげようとすると四方八方から「失業者が溢れるぞ」「地方はおしまいだ」なんてこの世の終わりのような悲鳴が上がる。
「低すぎる賃金」は、地方の活力を生み出している各地の中小企業を助けて、日本が誇る「安くて質のいいサービスや商品」を生み出す原動力だというのである。
表面的に見ればそうかもしれない。しかし、この「低すぎる賃金」が、結婚や出産に踏み切れない若者を多くつくって少子高齢化を加速させて、先進国でもダントツに低い労働生産性を生み、国際社会では「奴隷」と評価されてもしょうがないほどのブラック労働と、時代錯誤的で陰湿なパワハラのドライバーになってきた、という動かしがたい事実がある。
つまり、「低すぎる賃金」は一見すると、安くて質のいい商品やサービスを生み出し、地方経済のためになるなどメリットもありそうだが、実は冷静になって眺めれば、我々日本人の心と肉体、そして社会を内側からガタガタに破壊するという深刻なデメリットがあるのだ。この皮肉な構図は、「低すぎる入場料」と丸かぶりなのだ。
いずれにせよ、このような「とにかく安くて質のいいものを提供すれば間違いなし!」という呪いのような思考から脱却しない限り、日本中の歴史や文化を伝える施設、文化財などは首里城のように「崩壊」していくだろう。
「低すぎる入館料」のおかげで確かに我々は国宝や文化財も気軽にみることができるようになった。しかし、それは裏を返せば、先人たちが遺した貴重な英知や後世に伝えるべき「人類の宝」を、税金で運営する公民館や公立図書館と同じくらいの価値におとしめてしまった、ということでもあるのだ。
首里城の独特の装飾美、そしてあの場で行われる琉球王朝時代の荘厳な儀式、伝統舞踏などを踏まれば、入場料は2000円でも安いと個人的には思う。少なくとも、歴史に翻弄されてきた沖縄の人々の「誇り」を考えれば、そんな低い価値ではないはずだ。
新しい首里城がどのような形になるのかはまだわからないが、沖縄に訪れる外国人観光客、県外からの日本人観光客に対して、強気の価格設定ができる素晴らしい施設になることを期待したい。
(窪田順生)