僕が裁判傍聴をはじめてから19年がたつ。法廷は被告人が裁かれる場所であると同時に、裁判長、検察官、弁護士のいわゆる法曹三者が働く現場でもある。
今回は過去に傍聴した裁判の中から、僕が「これぞプロフェッショナル!」と唸った事例を紹介したい。正直にいえば、退屈極まりない裁判も多いが、法曹三者の彼らはいつも淡々と職務をこなしている。あまり血が通っているとは言いがたい事務的やりとりに終始するケースがほとんどだが、彼らにも「プロ魂」を発揮する瞬間があるのだ。
日本の刑事裁判の有罪確率は99%以上だ。被告人が罪を認めていれば、裁判が始まる時点でおおよその判決まで予想がつく。「判例重視」と批判されることもあるけれど、似たような事件で判決が大幅に変わったらおかしなことになってしまう。そのため、有罪判決が見込まれる裁判では、情状酌量による減刑や執行猶予付き判決を得ることなど、量刑をめぐる駆け引きが繰り広げられる。
なかには被告人が否認する事件もある。でも無理のある主張が多く、長年裁判所に通っていても、無罪判決を聞く機会はほとんどない。証拠も動機もあり、どう考えても被告人が犯人なのに「だとしても、そうさせたのは被害者だから私は無罪です」と訴える被告人を見ていると、代理人としてその主張を通さなければならない弁護人は大変だなと思わされることも多い。
もちろん、それはそれでプロとして立派だ。しかし、ごくまれに、刑事弁護を志した人なら誰もが思うであろう「本気で検察とのガチ勝負」に挑み、成功を収めることがある。
僕が傍聴した中での最高峰は、いまから6年ほど前に傍聴した傷害致死事件。裁判員裁判で行われ、審理の日数は4日間だった。事件の概略は以下のようなものだ。
被告人の主張は正当防衛で、被害者を殴ったことは認めている。裁判で正当防衛が認められることはまれだ。しかも、今回は事件の目撃者が証人として呼ばれているとなれば、勝ち目は薄いと思われた。
では、どうするか。
裁判員の先入観(捕まったのだから有罪だろう)を取り除き、暴力がやむにやまれぬものであり、酔っ払いの被害者の行動には疑問符が付くという事件全体のストーリーに共感してもらうしかない。
放ったパンチ1発が致命傷となったのは、被害者は飲むべきではない酒をたくさん摂取していたからであり、医者から酒をやめるよう注意されていたこと、酒が原因で妻と離婚したことなどが背景にあるのだと被告人は主張した。
弁護人は本来、原告側に圧倒的有利に働くはずの目撃者証言にも鋭く切り込んだ。みずから現場検証をして、目撃したとされる位置からは、もみ合った場所が見えないことを証明したのだ。
苦しくなった検察が、被告人の過去(暴走族だった)をネチネチほじくり返すと、弁護人は「異議あり」と激怒し、今回の事件と何の関係もないことを裁判員に印象付けた。
そして検察の求刑5年を受けての最終弁論で、弁護人は驚異のパフォーマンスを披露する。
メモさえ持たず、80分もかけて、被告人に対する疑惑の糸を解きほぐすように検察の証拠をことごとく粉砕していったのだ。話術の巧みさ、抜群の記憶力、論の立て方と筋道の通った説明は説得力にあふれ、裁判員たちをくぎ付けにしていた。
最後に弁護人は言った。
「もしこれが正当防衛でないなら、この国はもう、どんな暴力を受けても反撃してはいけないのと同じことになってしまう(中略)被告人の運命はみなさんの掌の中にあります。その掌を握りつぶすことだけはしないでください」
判決は無罪。絶対に冤罪にはさせないと心に決めた弁護人が、持てる能力をフル稼働させた秀逸な弁論だった。
裁判長の人柄が現れるのは、判決言い渡し後の説諭(悪事をしないよう被告人に諭すこと)にあると思っている。説諭をするかどうかは裁判長にゆだねられ、まったくしない人もいれば、必ずする人、事件によってしたりしなかったりの人といろいろだが、個人的にはするほうがいいと思っている。説諭には再犯防止の意味合いが強いからだ。
かける言葉は以下のようなものが代表的である。
「あなたには待っている人がいるのですから、刑務所でしっかり反省し、罪を滅ぼし社会復帰したら、二度と犯罪を犯してここに戻ってくることのないようにしてください」
実刑判決を受けた直後、気落ちしている被告人に、自分には親や家族がいるんだと希望の光を与えることばだろう。孤独な被告人にはこうだ。
「刑務所を出てからも人生は続きます。あなたには先があるのですから、大変なこともあるでしょうが、ヤケにならず、自分を大切に生きなければだめですよ」
僕はかつて、裁判長の名調子にもらい泣きしてしまったことがある。妻の自殺をほう助した罪で逮捕された初老の男性に執行猶予付き判決を下した後、ぐっと身を乗り出し、次のように語りかけたのだ。
「執行猶予を付けたのは、あなたには外の世界でするべきことがあると考えたからです。奥さんの墓を守っていくこと。それは、あなたにしかできません」
温かいことばをもらい、涙を流して礼を述べる被告人。この人が悪事を働くことは二度とないだろうと確信できた。
検察官は証拠が整っていていればほぼ確実に有罪判決を得ることができるので、弁護人のように熱弁をふるったりする必要はない。だが、執行猶予も絶対に与えたくないと意気込むのか、再犯防止意識が高いゆえなのか、性犯罪や覚せい剤使用事件などでは、被告人質問で暴走気味の追い込み方をするときがある。
典型的なのは、性犯罪を担当する女性検察官が、全女性を代表するかのような口ぶりで、被告人の犯罪行為を責め立てる場合。見学(傍聴席)の女子高生たちまで利用するのを聴いたときは、目的のためには手段を選ばぬオフェンス力に舌を巻いたものだ。
「あなたね、さっきから『もうしません』と繰り返しているけど、前回捕まったときも同じこと言ってるでしょう。ふー(タメ息)。今日は傍聴席に学生の方がたくさんきています。みんな、あなたをにらんでいますよ。こんな事件起こして恥ずかしくないんですか! もういいです、終わります」
反論できない相手をいたぶり、恥をかかせるわけだが、同じ検察官が別の事件では上品な口調で被告人に接しているのを見るとプロだなと言いたくなる。検察官の狙いは、被告人をカッとさせて本音を引き出すこと、また、矢継ぎ早の質問で被告人の言い分が矛盾していることを明らかにすることだ。傍聴を続けていると、しょっちゅう見かける検察官がいるけれど、いったい本人がどんな人なのか、僕には想像もつかない。
プロ意識の高い法曹三者はそれぞれ立場も役割も異なる。よって彼らが足並みを揃えて被告人を励ますことはまずない。弁護人と裁判長はともかく、厳しい刑を求めるのが常の検察がそんなことするなんてありえない。
ところが、それに近いことが起きたのである。
拙書『なぜ元公務員はいっぺんにおにぎり35個を万引きしたのか』(プレジデント社)に収録した、本のタイトルになった事件。被告人は43歳の無職男性。3つの大学を卒業した元公務員で手話通訳のプロだったが、ワケあって路上生活を強いられ、逮捕時の所持金はたった147円だった。
被告人の人生や犯行に至る経緯が法廷内で明らかになってくると、あろうことか検察が被告人に同情したのか、どこか戦意喪失したような口調で「意見・求刑」を行ったのだ。
「重大な罪を犯した被告人には罰則を与えるべきである」という“演技力”を求められるのが検察官だ。熱く訴えるべきところを実にあっさりとすませてしまった。何の意図もなくこんなことをするはずがなく、「なるべく軽い刑でいいですよ」というメッセージとしか思えなかった。
それを察知したのか、弁護人は最終弁論をくどくど述べず、裁判長に花を持たせる粋な計らいをする(ように思えた)。傍聴歴19年目で初体験した法曹三者の連係プレー。裁判長が満を持して熱い説諭を口にしたのは言うまでもない。
「あなたは絶対に、いいですか、絶対に、二度と罪を犯してはなりませんよ(中略)まだ十分、人生を立て直せるはずです。わかりましたね」
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(ノンフィクション作家 北尾 トロ)