猛烈に頭が痛い、胸が苦しい、ひどい火傷(やけど)をした、事故にあった、家族が友人が同僚が目の前で突然倒れた。あなたはそのような緊急事態に遭遇したら、どうするだろうか。
【表】都道府県別にみた救急車の平均現場到着時間
119番にコール──そう、救急車を呼びたいと考えるだろう。
日本では119番を回せば、日本全国どこにいても、救急車による救急搬送サービスを受けることができる。24時間365日、救急車は要請があれば現場に駆けつけ、傷病者に適切な処置を行いながら、救急医療機関へと運ぶ。
しかし今、日本のこうした救急医療が危機に瀕しているのだ。
一刻を争う事態で救急車を呼んでも、救急車がなかなか来ない。救急車が来ても、救急患者を診(み)ることのできる医師が少ないため、万全の治療を受けられない。地域によっては、すでにそんな状況が起こり始め、やがて全国に広がりそうな気配を見せている。
実態を生々しくレポートした『救急車が来なくなる日:医療崩壊と再生への道』から一部を転載する。
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「95歳女性、のどに餅を詰まらせ呼吸困難」
「70代女性、脚立(きゃたつ)から転倒」
「70代女性、認知症患者、食事後に反応が悪い」
「80代男性、数日前から嘔吐(おうと)。意識レベル1-1(覚醒[かくせい]はしているが意識清明[せいめい]とはいえない)」
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ここは、関東のとある救命救急センターだ。1日に100人超の患者が訪れる。
「お熱が出ているので……いえいえ、おなかではなくて、お・ね・つが出ています」
「腕をまっすぐ伸ばしましょう。そうです。動かないでください! 違います、腕をまっすぐです」
救急車で搬送されてくるのは、圧倒的に70代、80代の高齢者が多い。耳が遠い人が多いため、医師や看護師などの医療関係者は、大きな声でゆっくりと、そして繰り返し説明することが多くなる。また、生命に関わる病態であることも少なくなく、診療や処置に時間がかかる。
この病院に限らず、現代の救命救急センターは、どこも高齢者で埋め尽くされているという。東京都内の救命救急センターに勤める医師が話す。
「今から30年前の救命救急では、働き盛りの50代、事故や自殺が多い20代の患者が圧倒的多数でした。それが今、救命救急を受診する患者のピークは、70代や80代です。60代と聞くと「若いね」というぐらい、若年者の受診は少なくなっています」
総務省消防庁「平成30年版 救急救助の現況 救急編」には、搬送人員の年齢構成比がまとめられている(図1-1)。それによると、1997年は高齢者の占める割合が約34%であったのに対し、成人は約54%だった。それが、2007年には高齢者約46%、成人約43%と逆転。2012年には高齢者約53%と救急搬送の半数を超え、2017年は約59%まで上昇した。実に、救急搬送約573万人のうち、およそ337万人を高齢者が占める。
ちなみに、日本の総人口(1億2,600万人)に占める65歳以上の高齢者の割合は約28%(約3,500万人)だ。つまり、日本の人口構成以上に救急現場は高齢者に傾いているのだった。
救命救急センターが高齢者でいっぱいになると、何が起きるのだろうか。
「それはもう、高齢者治療に追われ、若い人の突然の病気に対応できないんですよ。先日も40代男性の会社員が心筋梗塞(こうそく)を疑われるような症状でしたが、高齢者で救急のベッドが埋まっていたので断りました」
東京消防庁では、高齢者のなかでも75歳以上か、それ以下かで統計をまとめている。その結果、「60歳~74歳」の搬送人員数にはここ10年間変化がないが、「75歳以上」の年代だけが飛躍的に増加していることがわかった(図1-2)。
考えてみれば、年を取るほど病気を発症する確率が高くなるのだから、高齢化に伴い、救急の事態に遭遇する率が上がるのも当然の結果だ。だからこそ、救命救急の現場では、団塊(だんかい)の世代(1947~49年生まれ)が75歳以上になる2025年に危機感を抱いている。
社会の高齢化に伴って救急搬送が増加する。それは、救急車の出動台数増加をも意味している。とくに近年は、救急出動件数、搬送人員ともに、毎年のように「過去最多」を更新しているような状況だ。1997年には約347万6,000件だった救急出動件数は、2017年には634万5,000件にまで増えている(図1-3)。
高齢化がさらに進む2030年には、救急車の出動が現在の1.36倍になると予測する報告がある。すると将来、あなたが救急処置を必要とする時、「近隣の救急車が出払っている」という状況に陥る可能性が高くなる。
意外と知らない人もいるかもしれないので、ここで119番の仕組みについて簡単に説明しておこう。
私たちが119番にコールすると、当地の救急管制センターがそれを受け、救急事故現場に最も近い場所に待機している救急隊が出場する。もし直近の救急隊がほかのケースで出場している時は、その次に近い救急隊に出場指令が下る。そこも出払っている時は、現場から遠く離れた場所からの出場、といった具合だ。
全体の出動件数が増えれば増えるほど、近隣の救急隊が出払っているケースは多くなるだろう。だとすれば、止むを得ず遠くからの出動となり、現場への到着が遅れてしまうことが考えられる。
容態の悪い患者にとっては、その数分の延伸は「命とり」である。実際、心肺機能が停止した患者のうち、救急隊による心肺蘇生開始までの時間が10分を経過すると、1か月後の生存率や社会復帰率が低下することが総務省の調査でわかっている。
また、国内の4人に1人は血管病で死亡しているが、その代表格である「大動脈解離」(動脈が裂ける病態)は、発症後1時間ごとに死亡率が1~3%増加すると報告されており、24時間以内に約25%が死に至る(医学雑誌『CEST』による)。脳梗塞などは、少しでも早く救急車が到着すれば、命が助かるだけでなく、機能的予後(後遺症)も変わってくる。
近隣の救急車が出払ってしまい、緊急事態に現場に救急車が来なくなる──もしあなたの妻が、夫が、両親が、目の前で倒れたとする。医師でも救急隊員でもないあなたは、意識がない大切な人を前に「やることがない」のだ。
救急要請を受けてから、現場に到着するまでの時間をレスポンスタイムという。総務省消防庁が行った全国調査のデータによれば、2007年には7.0分であったレスポンスタイムの全国平均値が、2017年は8.6分と、10年で1.6分も延伸されている(図1-4)。
救急隊員も、いかに現場に早く到着するかという点に頭を悩ませている。
東京消防庁では、2016年より救急隊の現場到着時間を短縮させるための取り組みの一つとして、時間帯によって救急隊の待機場所を変更している。たとえば、日中の時間帯は救急要請が多い「東京駅エリア」に、夜間は深夜まで多数の人が集まる「新宿エリア」に救急隊を待機させている。その結果、東京駅や新宿エリアに限れば0.8分~1.8分の短縮効果が得られた。しかし東京消防庁全体でみると、2017年は前年比で11秒、2018年は前年比で7秒の短縮にとどまっている。
119番に通報してから現場に到着するまでのレスポンスタイムは10分を超え、東京都は全国ワーストだ。「救急」としては遅すぎると言わざるを得ない。
心肺停止患者の蘇生のチャンスは1分経過するごとに7~10分低下し、10分を超えると絶望的という海外の報告もある。このままのペースで現場到着時間が延伸していくと、国内の救急車は「蘇生が期待できる時間内」に駆けつけられない事態に陥る可能性が高い。
それでは、何分で到着するといいのだろうか。
世界各国から専門家が集まり、医学的根拠をもとに作られた国際コンセンサス(公式声明)がある。それをもとに、日本の状況に照らし合わせて作成されるのが「JRC蘇生ガイドライン」だ。
そこには「救急通報から救急隊が現場に到着するまでの時間を6.7分から5.3分に短縮したところ全心停止傷病者の生存率が33%改善した」と記されている。しかしながら、そもそも短縮前の6分台を達成しているのは京都のみで、どの地域もガイドラインで示される研究例からは程遠いのが現状だ(表1-1)。また、「身体的疲労のため、市民は5~6分で胸骨圧迫できなくなる」ともいわれている。
119番の通報から救急隊の現場到着までの時間で目指すべきは6分台だろう。これは、2006年以前には達成していた数字でもある。そして死守すべき最低ラインは、前述した総務省調査で「救急隊による心肺蘇生開始までの10分超えが生存率を低下させる」ことが明らかな以上、10分以内におさめることだと考えられる。
先に東京消防庁の例を挙げたが、こうした状況に対して、国や各自治体が手を打っていないわけではない。毎年、各地域で救急隊が増強されているものの、焼け石に水の状態だ。これから救急出動件数がますます増加していくなかで、「現状よりも早く」駆けつける、根本的な解決につながる策は見つけられていない状況だ。
「救急医療の量と質、ともに維持するのは厳しい」
現場の医師からも、救急患者の増加に悲鳴があがっている。
「ほとんどの救急医は、人の命を救いたいと思ってこの仕事をしています。しかし厳しい言い方ですが、すべての人間の命を助けることが是なのでしょうか」
この医師は、今のような救急医療の考え方では、近いうちに「崩壊」するのではないかという。「今のような」とは、30代の働き盛りも、90代の寝たきりの高齢者でも、同じパワーで命を救うことを意味する。
「私たちの救命救急センターでは、年間1億円以上の補助金を国から受け取っています。その資源、つまり医師もお金もすべてを平等につぎこむことが正解なんでしょうか」
そもそも救命救急センターとは、文字どおり重症患者の「命を救う場所」で、救急医療のなかでも「最後の砦(とりで)」といわれている。その現場で働く医師から、このような言葉が出てくるほどに、救急医療の現状は悲惨なのだ。
救命救急センターが各地に登場したのは、高度経済成長期の頃だ。1970年、交通事故の死者数が年間1万6,000人を超え、日清戦争での戦死者数(2年間で約1万7,000人)を上回り、「交通戦争」の時代と呼ばれた。交通事故に遭う歩行者が激増し、重症外傷の患者の搬送先が決まらないことが問題になった。
こうした状況に対応するため、1977年、これらの救急患者を専門的に受け入れる施設を「救命救急センター」として特別に整備するシステムが登場した。当初は人口100万人あたりに1カ所を目標として整備が進められたが、現在ではおおむね人口45万人あたりに1カ所が整備されるに至った。全国に289カ所の救命救急センターがある(2018年9月時点)。
昭和から平成に入ると、徐々に交通事故が減少していく。実際、救急搬送のうち交通事故が占める割合は、平成元年には24.3%だったが、平成の終わり、29年には7.6%となっている。
こうした状況の変化とともに、救命救急センターの主な役割は「外傷」への対応から、心筋梗塞やくも膜下出血など、働き盛り世代に発症しやすい「疾病(しっぺい)」への対応に移っていった。具体的には、心肺停止状態にある患者に対して、人工呼吸や心臓マッサージ、電気ショックなどを与えて蘇らせる「心肺蘇生」の措置が柱になっていく。
意外に思われるかもしれないが、平成になってまもない頃は、救急車のなかで心肺停止状態の患者に対して蘇生措置をすることができなかった。
しかし救急救命士法が1991年に成立し、それまで「運び屋」だった救急隊員も、心肺蘇生の措置ができるようになる。ひと昔前ならば絶望的な状況であった命も助かることが稀ではなくなってきた。
(『救急車が来なくなる日:医療崩壊と再生への道』から一部転載)
(笹井 恵里子)