【溝口敦】神戸山口組幹部の「ヒットマン」が突然の逮捕…その恐ろしすぎる深層 事件の謎を解き明かす「爆弾証言」

神戸山口組の若頭代行で山健組を率いる中田浩司組長が今年8月21日、新神戸駅近くの弘道会施設前で弘道会系組員を銃撃、重傷を与えたとして、兵庫県警は12月3日、殺人未遂容疑で中田組長を逮捕した。
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ニュースに接して、たいていの人は驚いたにちがいない。なぜ山健組の組長ともあろう者が自らヒットマンを買って出たのか。人手がなかったわけではなかろうに、まるきり解せない……。
ふつう暴力団による襲撃は、組長の下の若頭か行動隊長が指揮を執る。組内から襲撃要員を何人か選抜し、ターゲットへの尾行班、襲撃班、見届け班、逃走援護班などに分かれて実行するから、総勢10数人といった大掛かりなケースもある。いくら山健組が貧したとはいえ、組長自ら一人で襲撃に走るのは異常すぎる。

この謎を解くカギは関西地区の警察OB、T氏が与えてくれた。T氏は現役を離れた今も兵庫県警や大阪府警の捜査情報を把握している。六代目山口組や神戸山口組、任侠山口組などにもパイプを通じていると推察される。T氏の事件解釈と結論は意外すぎる内容だが、中田組長の性格分析を踏まえた精緻なものであり、よく考えれば、これ以上納得できる分析はないと思われる。
以下、T氏が事件をどう見、どう分析しているか、ご紹介しよう。
〈兵庫県警は中田が襲撃、逃走に使ったバイクから中田の指紋を検出しています。県警が掴む証拠は防犯カメラに撮影されたヘルメット姿の犯人像だけではない。よって中田逮捕が誤認逮捕ではあり得ないことが分かる。
これは中田が山健組の組員にも内緒で、一人でつっ走った犯行です。なぜ単独犯だったのか。中田は犯行を組員にさえ秘密にしたかったからだ。もともと自分の組員さえ信用していない。
というのは、自分の甥が酒梅組の若い者にど突かれた事件の復讐で、中田は若い者に命じ、その組員をひどく痛めつけた。これで中田は13年間、徳島刑務所で服役するのだが、中田逮捕のきっかけは子分の供述だった。以来、中田は子分に心を開かない〉
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こういう中田は、何を狙って、どういう思惑から、この突拍子もない襲撃を強行したのか。T氏はまず当時、中田が置かれていた情況と微妙な心情を説明する。
〈中田はついこの前まで弘道会の若頭だった中野寿城と兄弟分だった。これは中田の出身団体である山健組傘下、健竜会の若い者が岐阜刑務所で服役中、やはり服役していた中野と親しくなったからだ。中野の出所後、若い者は中田を中野に引き合わせた。二人は意気投合し、兄弟分になったが、この関係は対外的には公表されていない。
中田はこの中野というパイプを使って、山健組が六代目山口組に戻れる道はないか、模索し始めた。なぜなら神戸山口組を発足させた井上邦雄組長などは六代目山口組から絶縁処分を受けているが(つまり復縁することは不可能)、中田は発足当初、組内で偉くなかったから、処分の対象者ではなかった。中田は六代目山口組から絶縁されていない。先方が許せば戻れます〉
山健組では19年4月19日、神戸市筒井町で若頭の與則和が六代目山口組系弘道会、野内組の元組員2人に刃物で襲われ、重傷を負う事件があった。山健組としては当然、弘道会に返し(報復攻撃)をしなければならない。中田は井上邦雄組長から、「早く返しをしろ」と強く迫られていた。

中田組長としても弘道会に対して報復はしたい。しかし、六代目山口組に再び迎えられるためには、弘道会に強く憎まれたくはない。それで2つの要求を満たす弥縫策として自分で弘道会組員を襲い、それを任侠山口組の犯行だと思わせる策を思いついた。
ちょうど任侠山口組は8月19日、長野県で系列の竹内組が弘道会系野内組の傘下組員に全治8カ月の重傷を与えた上、引退届さえ書かせる事件が発生していた。事件を起こし、それを任侠山口組のせいにすれば、任侠だけが弘道会に憎まれ、徹底的な報復を招く。中田とすれば「ざまー見ろ」という心情だった。
同じころ警察は東京・府中刑務所に出所間近の高山若頭を訪ね、事情聴取した。高山若頭は出所したら、「神戸山口組とは入江禎副組長を窓口に話し合う。任侠山口組には使者を送る」と答え、分裂問題の解決に実力行使しないような口調だった。高山のこうした意向は警視庁はもとより兵庫県警、大阪府警、愛知県警などが共有する情報となり、担当の刑事を通じて神戸山口組の井上、中田にも伝えられた。
井上と中田は焦った。入江禎副組長や任侠山口組・織田絆誠組長が高山との話し合いで六代目山口組に戻るのではないか。もしそうなったら、井上組長と山健組だけが業界の孤児になってしまう。であるなら、弘道会が任侠山口組をもっともっと憎むように、叩くように、持っていくことだ。両者の話し合いもぶっ潰してしまう–。
T氏が話を続ける。
〈こうして中田は8月21日の夕方、かねて用意していたバイクにまたがり、弘道会系組員の銃撃に出かけます。そして犯行後、組員たちに何食わぬ顔で「あの事件は山健組がやったんじゃない。おかしい。ウラがある。お前ら、徹底的に調べろ」などと吹き込み、弘道会の中野若頭にも「うちがやったんじゃない」と吹聴していた。もちろん井上組長にはそれなりに真実を伝えていた〉

だが、それにしても、中田の行動は突飛すぎる、とうてい信じられない、と多くの人が思おう。
T氏は「では、こういう例を出します」と言い、次の例を持ち出した。
〈16年9月5日、六代目山口組の組長・司が定例会出席のため新神戸駅に着くと、神戸山口組系の組員らが手に手に色紙とサインペンを持ち、「サイン下さーい」と大声を挙げて司を取り囲む事件があった。
「サイン下さい事件」として世に知られるが、これを企画・立案したのは井上と中田。組員に動員をかけ、実行したのは中田です。芸能人みたいなナリをしている司をおちょくり、笑いものにする。中田は漫画みたいなことを平気で考え、実行する。やくざの世界ではきわめてまれなキャラです。
また17年9月12日、任侠山口組の代表・織田が大阪に出かけるため神戸市長田区の自宅を車で出ると、山健組系一勢会・黒木こと菱川龍己がクラウンの運転席から飛び出、織田護衛役の楠本勇浩を射殺する事件があった(長田事件)。
このとき菱川とは別に、後にSNSなどで「みどりマン」と名づけられる緑衣の男が自動小銃を持って織田の車列の周りをウロウロしている姿が何台かの防犯カメラに記録されていた。みどりマンは菱川と同じく未逮捕で、指名手配さえされていないが、その体つき、歩き方、身のこなしから、今では中田その人ではなかったかと疑われている。
これを逆側から言えば、中田は長田事件であれほど自分の顔、形を記録されながら、逮捕されなかった。兵庫県警は無能だ、自分が今回防犯カメラに写ったところでヘルメット姿だし、逮捕されるわけがない、と自信満々でバイクに乗ったと思う〉
週刊誌などで報じられている通り、8月下旬から中田組長は神戸山口組や山健組の例会をサボり、2カ月ほど消息不明になる。ほぼ同じころ、井上邦雄組長が中田組長を手ひどく殴ったという噂が流れた。
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〈井上が中田を殴ったのは事実です。殴った理由の1つは中野若頭経由で六代目山口組に復縁する中田の目論見。これの証拠は中田-中野会見の様子がカメラ映像で井上に提供されたといいます。警察がお節介を焼いたんでしょう。
もう一つの理由は茨城で山健組組員がトラブルを抱えた。井上が話をつけてこい、と中田を派遣したところ、不公平な采配をして帰ってきた。その2つの理由で、井上は中田を殴ったようです。

殴られたことで中田の心はますます神戸山口組から離れた。しかし、10月に高山清司が出所し、11月に弘道会若頭を中野寿城から野内正博に変えた。それまでの若頭・中野は舎弟頭補佐に据えられたけど、これは引退一歩手前の閑職です。中野には力がなくなり、中田の六代目山口組復帰という夢はあっけなく潰えた。
中田は仕方なく神戸に戻ったけど、もうやる気は失せている。11月27日に六代目山口組系竹中組傘下の元組員に射殺された神戸山口組・古川恵一幹部の通夜が30日にあったが、それにも顔を出さなかった。彼には女がいて、最後に別れを告げてから、海外に高飛びすることも考えていたらしい〉
中田は女を大阪淀川区・神崎川駅近くに囲っていた。12月3日、中田は最後に会おうとして女の部屋を訪ねたが、女は外出していて会えなかった。仕方なく中田はお供も連れず、神崎川駅近くで一人でいたところ、兵庫県警に逮捕された。
中田は消息不明だった時期、地元である和歌山県御坊市の秋祭り、東京のディズニーランドに女と一緒に出かけている。和歌山県警と警視庁は中田のこのときの動向を探知し、ホテルに女と偽名で泊まった容疑で逮捕状(詐欺容疑)を用意していたという。両警察は兵庫県警に一歩先を越されたわけだ。

もちろん山健組・中田広志組長の逮捕は神戸山口組にとって取り返しのつかない損失である。神戸山口組の戦力は山健組以外にはなく、神戸山口組は手足を失ったも同様だろう。しかしそれ以上に、中田組長が上述の事情を抱えて、弘道会系組員銃撃事件を単独強行したことが明らかになれば、それに衝撃を受ける神戸山口組と山健組のメンバーは少なくないだろう。
現在、中田組長は拘置所に入っているが、山健組に「誰か身代わりを立ててくれ。俺がやった、中田組長の逮捕は間違いだ。そう名乗り出てくれる者はいないか」と言づてているらしい。
T氏は言うのだ。
〈山健組は自壊する段階に入った。残された命脈はわずかのはずです〉と。