事故や病気で手足を失った人が使う義手や義足の設計・製作をする義肢装具士。山口県宇部市の義肢装具メーカー「大坪義肢製作所」に勤める角晃一郎さん(39)は、事故で右足を失ったことを機に義肢装具士を志した。仕事の傍ら足や腕を失った人がプレーする「アンプティサッカー」選手としても活動しており、二足のわらじを履く。
広島県廿日市市出身。美容師を志していたが、19歳の時にバイク事故に遭った。骨の移植など、5年間治療を試みたが回復せず、右足を切断した。
失意の中で出会ったのが大坪義肢製作所だった。義足作りの担当者の人柄に「一生学びが得られる仕事」と感じ、29歳で義肢装具士資格を取得し、製作所で働き始めた。
5年前に参加した義肢装具学会の時だった。「義足を使う人間が義足を作るのは一番最悪だ。(既に義足で生活をしている)自分には普通のことでも、義足を使ったことがない人には当たり前ではないから」。懇親会で会った教授の言葉に気づかされた。義足は予期せぬ痛みが生じることがある。だからこそ、「義足の自分が一番理解できる」というおごりは捨て、相手と信頼関係を作り、要望を丁寧に聞き取るよう心掛けている。
義足の製作過程で特に職人技が問われるのが、切断面を覆う「ソケット」部分だ。切断部近くの筋肉は徐々に痩せ、骨が浮き出るため、わずかでもずれると痛みにつながる。骨や筋肉の形状を正確に採寸し、厚みや角度の微修正を重ねる。義肢が体にぴったり合った時が一番うれしい瞬間で、「口数が自然と増えます」と笑う。
現在は、義肢装具士の仕事の傍ら、アンプティサッカーのクラブチーム「アフィーレ広島」の選手として、2013年の発足当初から活動している。15年から製作所がスポンサーを務めており、大坪誠社長(46)も「スポーツでも義肢作りでも日常生活を楽しむ情報を発信する窓口になってほしい」と期待を寄せる。
「『義肢作りはあの人でないとだめだ』。そう言われるような存在になりたいですね」。胸を膨らませながら、今日も義肢作りと向き合う。【平塚裕介】