任侠山口組(織田絆誠《よしのり》組長)が12日、組織名を「絆會(きずなかい)」と改称し、代紋も変更すると発表した。同時に「御通知」と題する文章を関係先に配信・配布し、その冒頭に次のように記している。
〈この度、任侠山口組と致しましては、昨今、世間様をお騒がせしております抗争事件の情勢を鑑みまして、これ以上、一般市民皆さまへの巻き添え等、日常生活への不安を煽る訳にはいかず、少しでも解消すべく、新たなる道を歩む決断を致しました〉
ここに窺われるのは、三派に分かれた山口組の分裂抗争から離脱したいという意志だろう。せめて自分たちが山口組を名乗らぬよう改めれば、抗争における的の数は3から2に減る。その分、一般市民の巻き添え事故も減るという理屈なのか。
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たしかに「御通知」はこの後、次のように続いている。
〈この数年間、世間様には、山口組三つ巴による分裂抗争等とお騒がせするという、不本意な現状に甘んじて参りましたが、我ら任侠山口組と致しましては、結成当初より、真の任侠道を取り戻すべく、脱反社を最終目標に掲げ、その為にも先ずは山口組の再統合と大改革を目指して参りました〉
旧・任侠山口組は17年4月に尼崎で結成されたから、あと3ヵ月、4月まで旧名を続ければ、めでたく「石の上にも3年」と胸を張ることができた。なぜ今、「絆會」への改称なのか。
誰でも思い浮かべるのはこの1月7日、六代目山口組と神戸山口組が「特定抗争指定暴力団」に指定されたことだろう。なぜかこのとき旧・任侠山口組は指定から外れていた。
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その理由は六代目山口組や神戸山口組と違い、旧・任侠は抗争にそれほどなずんでいなかったからか。ただ一件、神戸山口組から護衛役の組員・楠本勇浩を射殺されるという事件を抱えたが、それへの報復攻撃もまだ神戸山口組に加えていない。
要するに旧・任侠は「殺った、殺られた」を繰り返していないから、兵庫県公安委員会と兵庫県警は特定抗争に指定するまでもなかろうと判断したのか。
指定されなかった理由は分からない。だが、いずれにしろ、旧・任侠は「指定されなくて幸い。今後とも指定されないように山口組の名を外そう」と考えたのか。あるいは警察筋から「山口組の名を外せば、今後とも特定抗争に指定しない」という約束でも取り付けたのか。たしかに県警本部にとって、三つ巴の戦いより一団体を外し一対一の戦いに仕立てた方が対処しやすいだろう。
「御通知」は次のように続いて、短い文章を終えている。
〈しかしながら、この数ヵ月間の情勢を鑑み、現状では(山口組の再統合と大改革が)極めて困難であると判断致し、親分はじめ組員一同協議の結果、代紋及び組織名を[絆會]と改め、新たなる出発をする事と致しました。
令和二年一月十二日 絆會総本部〉
この一節はどう取るべきなのか。絆會の幹部と親しい事業家が代弁する。
「六代目山口組の高山清司若頭が去年10月刑務所から出所し、すぐ組の指揮を執り始めた。と、いきなり激化したのが神戸山口組への攻撃です。神戸の古川恵一幹部を自動小銃でハチの巣にし、山健組事務所の横で警官の見ている前、山健組組員2人を射殺した。六代目山口組や弘道会の人事を見ても、極心連合会・橋本弘文会長を引退させるなど、すべて六代目山口組、すなわち弘道会に敵対する者は攻め殺せ、と敵意丸出しです。
旧・任侠の幹部たちは、高山若頭のこういう動きをじっと見ていて、山口組改革の可能性が少しでもあるかと考えた。何もない、ゼロです。高山若頭の運営は収監される前より出た後、もっとひどくなっている。旧態依然、喧嘩に勝てばカネが湧くとばかり、組員を抗争に駆り立てている。山口組が強ければ、業界はまとまると信じている。が、仲よくやっているのは他団体の幹部クラスとだけ。金持ちクラブのおつき合いだから、上厚下薄の世界はまるで改まらない。
これで旧・任侠は高山若頭を見限り、神戸山口組を捨て、六代目山口組に愛想づかしをした。それがこの絆會への改称です」
少なくとも旧・任侠は依然として直参の会費を月5万円に抑え、経費が掛かる他団体との交際を控えるなど、ヤクザ世界改革を実際に続けている。半グレに対しても「オレオレ詐欺だけは止めろよ、もっと自分を出して、男らしくやれよ」と指導している。
先の事業家が言葉を続ける。
「山口組の組員は誰でも多少“山口組病”に罹っている。山口組の組員は他のヤクザより格上だ、値打ちがちがうから、バッティングすれば他団体のヤクザが引くんだと信じている。今回の絆會への改称はこの“山口組病”からの脱却でもある。山口組だろうとなかろうと一般組員の生活が苦しいことは同じだ。もう山口組の名前なんて要らない、というわけでしょう」
つまり高山路線は山口組一強時代をなおも続けようとするだけ、それは過去のものだ。現状はその前に暴対法や暴排条例、暴排要綱に囲まれ、ヤクザ、暴力団全体が事実上、基本的人権さえ否定され、生存権さえ危うい。組員たちはもっと真剣に社会の役に立つ生き残り策を考えようという呼び掛けなのだろう。