井手英策慶応大学教授(財政社会学)が、2年にわたって毎日小学生新聞で連載してきた「『ふつう』に生きるということ」が今月、最終回を迎えた。社会の分断の処方箋に増税による格差是正を説く経済学者が、子供を主人公に「生きること」を説く物語を書いた。作品に込めた思いを聞いた。【聞き手・鈴木英生】
――小学生向けになぜ、物語を書こうと思ったのか。
僕は2011年4月16日に急性硬膜血腫で突然倒れ、生死の境をさまよった。そういう時、人は走馬灯のように過去の記憶がよみがえるというが、僕の場合は、何もよみがえらなかった。よみがえるに値する記憶すら持てない生き方に衝撃を受けた。
子供の時から人に勝つことや、いい学校、いい会社に入ることだけを考えて生きてきた。部活を楽しむこともなく、恋をするでもなく、親と対立すらしてこなかった。
退院後の数年間は、普通に話しているつもりでも論理的ではなかったし、階段の上り下りにも苦労した。自律神経もおかしくなり、時に自分を見失いそうになった。毎日小学生新聞から連載の依頼があったのはその頃だ。
引き受けたのは、生死の境をさまよった際の記憶を思い出して、俺みたいになるなよ、と伝えたかったからだ。それともう一つ、困難と「共に生きる」という感覚も伝えたかった。困難と向き合うことは必要だが、いくら頑張っても乗り越えられないこともある。苦しみを抱きしめる生き方もあるんだということをどうしても語りたかった。
<当初の原稿の依頼は、子供たちが社会の分断に気づき、乗り越える方策について考えるきっかけになるよう、経済や財政のしくみや現状を解説してほしいというものだった>
――それでなぜ、少年を主人公にした物語に?
僕は「なりたい自分」を書きたかった。なりたい自分、それは「なれなかった過去の自分」だ。未来に夢中で、今をおざなりにした自分の過去、恥ずかしさをすべてさらけだして、こんな大人にはなるなと伝えたかった。自分の内面をのぞき込んでいくと、誰にだって「なりたい自分」がいるものだ。なりたくともなれなかった少年との自己内対話を重ねると、僕はなりたい自分に近づける。そんな、僕にとっての対話の相手を、紙面で活躍させたくなった。
<主人公の「彼」は、学校や家族、地域の中で悩み苦しむ人に気づき、自らも悩む。財政を専門とする経済学者として、問題解決のための政策を示すこともできたが、作品の中で答えを出すことはしなかった>
答えのない問いに悩むのが人間
――読者にゆだねたのか。
自分の中に答えはあったが、苦しみと共に生きる、を一つのモチーフにして考えていたので、主人公は常に右往左往した。答えの出せない問いに立ち向かうのが人間。答えに迫ろうと、もがき苦しむさまを描きたかった。そうやって、苦しみを抱きしめることで人は寛大寛容になる。生きていくには、そういう道があっていいじゃないかと思う。
今の子たちの最大の不幸は、選ぶ機会を与えられていないこと。受験しても、しなくても、生まれながらにその道が準備されている。生き方に人間臭さがない。もっと一つ一つの出来事を感じながら生きてほしい。たとえば、勉強の時間を割いて恋をする。悩みながらそのバランスを作っていくものだが、子供たちは、勉強して偉い人になるか、そうじゃなくてダメな人になるかと迫られる。勉強して偉くなるのもいいけれど、人間らしく生きていった先に、立派な大人になるという普通の道もある。社会の求める価値を体現するだけの「普通の人間」になろうとするのではなく、当たり前の喜びや悲しみを体全体でかみしめながら、人間として普通に生きてほしい。
想像力欠いた社会の「不寛容」という病
――人間として普通に生きる人たちが集まった社会であれば、何が違うと考えるのか。
喜びと同時に、痛みや悲しみに思いをはせられれば、想像力が身につく。想像力があれば、自分にとって嫌なことがあったときに、その嫌なことには理由があると考えられる。嫌なことを軽々しく断罪しない、それが相手を尊重することにつながる。その積み重ねで、許しあえる寛容な社会が育っていく。
――主人公は悩んだ末に社会に怒りを覚えるようになった。
社会の「構造」は自分ひとりでは変えられない。だからいろんな怒りがこみあげてくる。一つには、大人たちがつくりあげた今の社会への怒り。大人への怒りだ。ただ、彼自身も大人たちと同じように、ずるいことや情けないことをしてきた。社会への怒りは自分に対する怒りとなって当然、はね返ってくる。
一方で、こんな世の中をつくった大人たちも苦しんでいる。想像力を欠いた日本社会の病は、怒りを共有できないところにある。怒りは、喜びや悲しみと共に人間としての大切な感情。人間らしく生きるための、人間性回復の手立ての一つが怒りなのだ。主人公の彼のように、社会のだらしなさと一緒に、自分のだらしなさに怒ろうとすれば、悩みに突き当たる。だから「悩む」を一貫したテーマとしてきた。
――読者の受け止め方をどうイメージしてきたか。
子供に届けたいのと同じぐらい、大人にも届けたかった。作品から対話の場が生まれるとよいと考えた。例えば「みんなが言っている」という言葉にも、立ち止まって考えてほしい。「みんなが言っている」の背後には、暴力と圧力がある。普通に生きるということは、そんな当たり前に物申すこと、つまり、優しくなるということだと思う。