「私たちを撮ってくれませんか?」 ”AVの帝王”村西とおる事務所を訪れた禁断の親子

”昭和最後のエロ事師”村西とおるを襲った「女房を寝取られた男にしかわからない恥辱」 から続く
【動画】「全裸監督」村西とおる(70)6000字ロングインタビュー
Netflixオリジナルドラマ「全裸監督」の大ヒットによって、主人公のモデルとなった“アダルトビデオの帝王”村西とおる氏(70)の破天荒な半生に注目が集まっている。
「死んでもリアルな性を描かない日活ロマンポルノの二番煎じにはならない」と作品作りへの熱意を語る村西氏。その後のアダルトビデオで定番になった演出手法”ハメ撮り””駅弁”誕生秘話や、レジェンドとしての矜持を聞いた。
文藝春秋

――監督のパワーの源泉はどこにあるんですか?
村西 幼少期の強烈な貧乏体験でしょうね。あんな生活は二度としたくない。だから何が何でも、と豊かさを追求しました。私たちの世代はそういう意味でハングリーですよね。貧しかったけれど、明日は今日より素晴らしい、明後日の方がもっと豊かになると信じられたからね。
ただもう一方で、“人生は喜ばせごっこ”だというスタンスが基本にあるんです。

――“喜ばせごっこ”ですか。
村西 商売は自己満足じゃいけませんよ。お客様を喜ばせないとね。私はお客様を喜ばせることを自ら楽しんでやってまいりましたから、そういうところをご評価いただけたのかなと思っています。
――AV作品の中の、視聴者や女優に語りかけるような独特な語り口はそういうところから生まれたのでしょうか。
村西 ご明察! その通りでございます。あの語り口を確立したのは「私にHな言葉をいって・・・」シリーズ(1986年)の女子大生編を撮ったとき。いやらしい言葉で女性が恥ずかしがる様子を撮りたくて、意識的に猫なで声にしたんです。「ナイス」とか「ファンタスティック」という英語も、会話の彩りとして使用してまいりましたが、まさか30年以上経った今でも“村西節”として定着しているとはね!
――村西監督は自身も作品に出演したわけですが、そもそものきっかけとなったのは?
村西 はじめては柳沢まゆみ主演の「セーラー服を脱がさないで…」(1986年)の撮影でしたね。柳沢さんが相手役のことを嫌がっちゃって、愛のある絡みが撮れなくなりそうだったんです。焦りましてねぇ。私が相手役をするしかないなと。それからは女優さんを癒すために、丁寧に丁寧に愛撫しましてね、こう言ったんです。「ああ、素晴らしい。ナーイスだ」。

――そうして生まれたスタイルが後に人気となっていくわけですね。
村西 最初は批判されましたよ。オヤジの声なんて聞きたくないって(笑)。あとは “ハメ撮り”も人気になって、その後定着していきました。
――どういうきっかけで生まれたのですか?
村西 それも女優さんとのやりとりから生まれたんですよ。ある女優さんが現場に来たはいいけれど、「やっぱり人前でセックスはできません」と怖気づいたんですね。でも「監督さんと2人ならいいです」と言った。だから私がカメラを持って、女優さんと部屋で2人っきりになったわけです。カメラを持って「お待たせいたしました。お待たせしすぎたかもしれません。昭和最後のエロ事師、村西とおるでございます。誰もいないね、2人っきりだね」と、こう始めた。すると女優さんも「そうです」と頷いたんですね。
――女優を尊重することで生まれた演出方法だったと?
村西 私にはね、女性への尊崇の念がベースにあるんです。お祖母ちゃん子、母親っ子だったので、女性を苛めたりするのがなかなかできない。日活ロマンポルノはレイプとか暴行とか、女性に対する暴力を興奮の材料にしていたのですが、この女性がいじめられたら、この子の息子はどう思うんだろう、どれほど俺を憎むんだろうと思ったら、そんなことできなくなっちゃう。

――代表作といえばやはり黒木香主演の「SMぽいの好き」(1986年)でしょうか。あの作品の出現で、女性の性欲が“発見”されたと語られますよね。
村西 おっしゃる通り! 黒木さんのAV初出演作なのですが、彼女はすごかった。一番最初にお会いした時に、「どういう風にしてこういうお仕事をしたら良いでしょうか?」と聞かれたので、「色々な言葉を言えた方がいいから、ポルノ小説を勉強してみたらどう?」と返したんですね。そうしたら彼女は「わかりました」と言って、現場に大学ノートを持ってきた。そこには宇能鴻一郎とか川上宗薫のポルノ小説から、20ページ分くらい「許してください」「やめてください」とかいう言葉がびっしり書いてあったのです。真面目な人でしたね。
本番でも自分から積極的に私を誘い、快感を貪っていた。「女性の性はこんなに男性の性を凌駕しているのか」ということを世に知らしめ、日本中がそれに刮目したわけです。ちょうど男女雇用機会均等法が施行され、女性の時代になりつつあった時期でした。時代があの作品を生んだといってもいい。奇跡的な作品でしたね。
――黒木さんと撮影したのは2本だけなんですよね。
村西 「SMぽいの好き」以上のものは撮れないし、撮ったら彼女の名前を汚すような気がしてね。この作品を撮れたことは非常に名誉なことだし、私の監督としての自信のバックグラウンドになっていますよ。
彼女は日本の宝ですね。私にとっては、なんていうかな、神様みたいな存在です。彼女の存在が女性の性を開花させ、日本AV界の礎になり、モニュメントになりました。

――村西監督以後、日本のAVは社会にどんな影響を与えてきたと思いますか? 現代では間違った性知識を広めていると批判されることもあります。
村西 それはナンセンスですね。日本のAVは世界で稀にみるほどに色んな作品があって、様々な演出方法がありますからね。
もちろんお下品な作品も「こんなのダメよ!」なんて作品もありますけれど、それらはあなたの性愛と私の性愛、誰一人一致しないってことを伝えているんです。性愛は道徳とか倫理で断罪できませんから。私は何度も断罪されてきていますけど(笑)。
――どういうことに興奮してもいいんだよと。
村西 もちろんでございますよ! 例えば、愛している人がいるのに、どっかのオヤジとそのままカラオケボックスでイタしちゃったと。そうしたら5年も6年も付き合ってきた男性よりも、何十倍も感じるということがあるわけです。
性欲とはこれすなわち欲望ですから、「腹が減っているときは何を食っても美味しい」みたいな生体反応があってしかるべきなんです。その事実を知らないと、大変なことになる。かつて勝田清孝という死刑囚がいてね、ご存知ですか?

――1972年から1983年まで窃盗や強盗殺人を繰り返した犯人ですよね。8人を殺害しています。
村西 勝田は消防士だったのですが、強姦後に女性を絞殺しているんですよ。死刑囚となって拘置所にいたこの男からね、手紙をもらったことがあります。「私は確かに殺しはしたけど、強姦じゃない」と。彼の論理はセックスをしている時、女性は腰を使ったし、濡れてもいた、そして声も出たと。だから強姦じゃないっていうんだけど。私は「それは生体反応で愛とセックスは関係がないんだ、あんたのやっていることは強姦だよ」と返事を出しました。
愛と性は別だと、学校教育で教えるべきですね。そういう知識を持たなければ性犯罪が増える。今そういうことを教えてくれるのは、AVしかないんですよ。
――作品を撮るうえで特に意識していたことはありますか?
村西 「我々でしか真実は描ききれない」という矜持を持っているんです。あのね、事実を事実のように撮っても真実は描けないんですよ。
――村西監督にとっての“真実”とは?
村西 例えばね、近親相姦している男女が「撮ってくれませんか」と事務所にやってくることがたまにあるんです。じゃあ実際にやってみせて、というと、ドキドキもしないし眠たくなるようなセックスを当たり前のようにやってみせるんです。なぜつまらないかというと、その営みは彼らの日常でしかないから。予定調和なもので、他人を興奮させることはできないんですよ。

禁断の世界というのは、畳に爪を立てて引っ掻いて、「やめて……!」とか「許して……!」とかがあって然るべきなんです。そういう脚色があるからこそ、初めて観る人も興奮するわけです。フィクションでしか描けない真実もある。そこに我々の存在意義があるんです。
――最近はフィクションの世界にも様々な制約がありますよね。コンプライアンスの問題や、ネットでの炎上などがたびたび話題に上がります。
村西 でもね、作り手こそ異端でなければならない。そうでないとみんなの心を鷲掴みにはできないでしょ。「天気の子」みたいな爽やかな青春映画も素晴らしいんだけど、人間の実像にはドロドロ、ギラギラしているものがある。その中でのた打ち回って、真実とか生きる意味を追求している人は山ほどいるわけですよ。現実はハードで、強烈なんですよ。エンターテインメント作りはお客様商売です。お客様にご満足いただくためには、命がけでやらなくちゃいけない。

――次回作を撮るとしたらどんな作品を撮りたいですか?
村西 私は相手がいないとインスピレーションが湧かないの。だから私の夢は、黒木さんのような衝撃的な方とまた出会うこと。人間の性愛は無限ですから、出会いさえあればAVの演出も無限にあるんです。
いま、世界で日本のAVは結構人気ですよね。ドラマ「全裸監督」が人気なのもその証左でしょう。でも今の日本には、かつての私みたいにチャレンジするような人が足りません。そんな時代にはでっかい浣腸をギュッと一発してあげたいですよ(笑)。
(「週刊文春」編集部/週刊文春)