「戦争さえなければ」「せめて手を」=「平和の礎」で遺族が祈り―沖縄慰霊の日

「慰霊の日」を迎えた23日朝、沖縄県糸満市摩文仁の追悼式会場そばの「平和の礎」には、時折雨が降る中でも多くの遺族が各地から訪れ、不戦を誓い平和への祈りをささげた。
親子で訪れた同市の金城覚さん(47)は、祖母から叔父が沖縄戦のために1歳で亡くなったと聞いた。「戦争さえなければ死ぬことはなかった。戦争のせいでしかない」と訴えた祖母の思いを継ぎ、毎年平和の礎で子どもに当時の状況を伝えている。「子どもは今は聞くだけだけれど、親になれば分かるのではないか」と期待する。
浦添市から訪れた伊志嶺勝代さん(83)は、故郷の伊良部島(宮古島市)から出征した父の記憶がほとんどない。「私は台湾に疎開していたが、父は帰ってこなかった。せめて手を合わせたい」と寂しそうに水を供えた。
那覇市の桑江常輝さん(91)は、那覇で空襲に遭い、本島北部に避難したが、兄が糸満市で亡くなった。避難先にも米軍が迫り、「自分で死んだ方が良い」と言ったが、父に「死ぬのはいつでもできる」と諭され、思いとどまった。一緒に平和の礎を訪れた孫の野原もなさん(16)は「だから私がいるんだよね」と話し掛けた。
名護市の岸本憲三さん(78)は3歳の時に沖縄戦を経験した。父は防衛召集され、首里で亡くなったと聞いたが、詳細な場所は分からないという。岸本さんは約30年前から、今も野に散らばる無名の遺骨収集を続け、「おやじじゃないかと思いながら集めている」。平和の礎には孫3人と訪れ、父に「子どもたちを見守ってください」と祈った。
南風原町の伊志嶺真人さん(49)は、伯父をマラリアで亡くした。疎開して生き延びた両親は、慰霊に訪れる体力も衰えた。今年は小学生の息子を初めて連れ、「両親の分まで手を合わせた。おやじたちの話を子供に引き継いでいきたい」と誓った。
[時事通信社]