いまだ解決せぬ「日本人の忘れもの」 残留日系人ら戦後75年の苦しみ 25日から公開

太平洋戦争により、幼くして海外に取り残され、戦後75年を迎える今も苦しみの中にいる人たちがいる。こうした「フィリピン残留日系人」の現状や、高齢になった中国残留孤児の日本での暮らしに迫ったドキュメンタリー映画「日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人」が25日から公開される。残留邦人に対する日本政府の戦後対応にも焦点を当てた小原浩靖監督は「国が残留邦人たちを守らなかった問題が今なお残る。解決に向けて社会が動くきっかけになれば」と語る。【山田奈緒】
フィリピン残留日系人は、戦前に出稼ぎのためにフィリピンに渡った日本人男性と現地の女性の間に生まれた子どもたち。戦争が始まると父親が現地で日本軍に徴用されるなどしたために家族が離散。戦中戦後の混乱もあり父とのつながりを示す書類や写真などを失い、父の生死も身元も分からないまま暮らした人も多かった。
映画は、日系人の父親捜しを支援するNPOのスタッフや日本の弁護士が2018年にフィリピン南部のミンダナオ島のジャングルを進むシーンから始まる。たどり着いたのは、赤星ハツエさん(93)、サダコさん(91)の姉妹が暮らす地域。ハツエさんはぽつりぽつりと日本語を話し、カタカナで名前を記す。父は軍に徴用されたまま、行方知れずとなったという。
日系人たちが生まれた当時の両国の法律は、父が日本人なら子も日本人になる。多くは反日感情が強かった戦後のフィリピンで日本人の子であることを隠して生き延び、教育を受ける機会に恵まれず、貧しい暮らしに陥った。
NPOの支援で父親の身元が分かり、日本国籍を取得したのは13年。人生の大半を無国籍状態で送った。無国籍の日系人に対する日本政府の救済策はほぼなく、民間団体が父親捜しなどを支援してきた。映画は、NPOスタッフが日系人たちの父との思い出を丁寧に聞き取り、現地の教会に残る古い結婚証明書、日本の外交史料館に残る渡航記録などを地道に調査する姿も記録している。
同じ残留邦人でも、中国残留孤児の場合は日本政府による家族捜しが行われた。国による支援の差が生まれたのは、フィリピンの場合は日本人男性と現地女性の子であるのに対し、中国の孤児は両親とも日本人で、さらには「国策」で移住を推進した経緯があるためとみられる。ただ、中国残留孤児への支援も、当事者の訴えや世論に後押しされる形で整備されてきた面がある。
映画は、中国残留孤児たちが起こした国家賠償訴訟の代理人弁護士や歴史学者らのインタビューを盛り込み、「課題解決型で戦後処理の包括的な法律がない」などと日本政府の対応に疑問を投げかける。さらに、残留孤児の子どもらが開設した中国語の通じる東京都内の高齢者施設にも密着。言葉の壁や孤独を感じてきた年老いた残留孤児と、寄り添う支援者の思いの双方に迫った。
フィリピン残留日系人はいまだ約1000人が日本人と認められないまま暮らし、帰国した中国残留孤児にも日本社会に溶け込めない苦悩がある。この問題に長年かかわり、映画を企画した河合弘之弁護士は「高齢になった彼らが亡くなれば問題は解決しないまま消滅する。手を差し伸べないままでいいのか。事実をもってみなさんに問いかけたい」と話す。
ポレポレ東中野(東京都中野区)などで順次公開予定。詳細は映画公式ホームページ(https://wasure-mono.com/)で。