東京都葛飾区柴又で平成8年、刺殺され自宅が放火された上智大4年の小林順子さん=当時(21)=の父親の賢二さん(74)が中心になって訴えてきた殺人などの公訴時効撤廃は今年で10年を迎えた。なぜ、殺されなければならなかったのか。遺族らは、捜査の時間的制約が取り払われたことで、この最大の疑問を犯人にぶつける“望み”をつないだ。だが、その望みのため今も苦悩を抱える遺族もいる。犯人を逮捕したい、でも時効撤廃で捜査のけじめを失ったのではないか。捜査サイドのジレンマものぞく。(村嶋和樹、松崎翼)
■「希望失わず済んだ」
「動機が分からず、もどかしい気持ちでいっぱいです」。千葉県松戸市の藤堂早苗さん(65)は、苦しい胸の内を語る。
福岡で暮らしていた父親の金丸金次郎さん=当時(81)=と、母親の愛子さん=同(73)=が自宅で首を絞められて殺害されたのは平成13年2月のことだった。強盗殺人だとみられているが、犯人の手がかりはつかめておらず、藤堂さんは19年以上を未解決事件の遺族として過ごしてきた。事件で親孝行もできず「もっと違う人生を歩みたかった」とも思う。
だが「なぜ両親を狙ったのか」を、どうしても犯人に聞きたい。だからこそ賢二さんが中心になって立ち上げた「宙の会」の時効撤廃運動に携わり、法の改正を勝ち取った。私費で懸賞金を積み増し、現場近くでの情報提供を求める活動も定期的に行う。「殺人事件の遺族は重い荷物を背負って歩み続けている。時効撤廃のおかげで希望を失わずに済んだ」と語る。
■捜査打ち切り要請
悩みを抱える遺族も存在する。埼玉県春日部市の小林邦三郎さん(75)は8年4月、立教大の4年生だった息子の悟さん=当時(21)=を失った。JR池袋駅(東京都豊島区)で男に殴られたことによるものだった。
当時は公訴時効が7年の傷害致死事件として捜査が進められた。時効延長を世論に訴え、街頭で訴える活動も展開。時効成立寸前に警視庁は容疑を殺人に切り替え、時効が8年引き延ばされた。望みをつなぎ「人生をやり直すため、出頭してほしい」と、犯人に訴える活動を続けた。
そして22年、殺人の時効も撤廃された。犯人が捕まってほしいという気持ちは今も変わらない。だが、気持ちとは裏腹に疑問も湧いた。「(適用罪名を変え時効がなくなったことは)現行法の存在価値をゆがめてしまうのではないか」
悩んだ末、ある結論を出した。息子の十七回忌に当たる24年、捜査の打ち切りを警察庁に要請。「本当に重要なのは犯罪を未然に防ぐこと。遺族が法の原則を守らないと、犯罪そのものはなくならない」と語る。
■4件で撤廃の“効果”
DNA型や指紋の鑑定技術の向上に伴い、長年打開策を見いだせなかった事件が、何かの契機に一気に動き出す期待は高まる。
全国の警察では、この時効撤廃の動きに伴い未解決事件を専従で捜査する部署もできた。ただ、科学捜査の進展で、発生から時間が経過しても犯人にたどり着く望みをつなぐ一方、展望が見いだせず膠着状態から脱せない長期未解決事件も少なくない。
警察庁によると、本来ならば時効が成立したはずの事件が、改正によって捜査が継続され、解決に至った事件は少なくとも4件。これに対し、コールドケースと呼ばれる重要未解決事件は警視庁の管内だけでも70件を超える。
時効撤廃の「効果」とされる4件は、多いのか、少ないのか。ある捜査関係者は「初動捜査でどれだけ証拠や証言を集められるかが大事。そこが滑る(失敗する)といくら時間をかけても事件は解決しない」と話す。
■「厳しい現場」
時効撤廃で犯人を追う時間的制約はなくなり、何としても犯人を逮捕したいとする捜査員の思いを結実させる障壁はなくなった。だが、時間の経過による関係者の死去や膨大な証拠の保管、その経年劣化という課題も突きつけている。
さらに、未解決事件を専門に扱う部署は、事件を幾度となく見直す作業を重ね「迷宮入り」の重圧とも闘い続ける。ある捜査員は「先が見えないとモチベーションが落ち、心身を病むことさえある。華々しさとは無縁で覚悟が求められる厳しい現場でもある」と明かす。
現職の捜査幹部も、訴える。「時効撤廃は裏を返せば、捜査にけじめをつけられなくなったとも言える。長期未解決にならないように初動捜査に人をつぎ込むことが大事だ」
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「逃げ得許さない」
中央大名誉教授(刑事訴訟法)椎橋隆幸氏「従来は時効になっていた事件に、捜査・起訴の可能性が生まれたことは実際的な意義があった。時効を迎えた遺族の失望感は大きく、遺族にとっては生きていく上での張り合いになる。時間の経過によって遺族の処罰感情が薄れることはなく、加害者の逃げ得を許さないことが重要だ。今後の課題として、時効撤廃の適用範囲を広げる余地はある。事件直後には被害を申告しにくい性犯罪や、長期にわたって後遺症が出る傷害事件なども、検討の対象とすべきではないか」
「どこかで区切りを」
元日弁連副会長・細井土夫氏「公訴時効制度には一定の合理性があり、今もあった方がいいという思いは変わらない。加害者が処罰されず、のうのうと生きているのを許せない遺族の気持ちは理解するが、時効撤廃の弊害も大きい。重大な事件であれば、捜査線上に複数の容疑者が浮かぶことは多々あり、彼らはずっと苦しみ続けることになる。弁護士にとっても、事件関係者の書類を数十年間保存し続けるというのは非常に困難。捜査当局は新規の事件にこそ捜査資源を投入すべきで、どこかで区切りを設けることが必要だ」