三陸沿岸部を中心に142人が犠牲となったチリ地震津波(1960年)の発生から、今年5月24日で60年を迎えた。
よその地域で、チリ地震津波にどれほど知名度があるものなのか、三陸で生まれ育った私には分からない。だが、2011年3月の“あの日”まで、岩手沿岸部の住民にとって「津波」といえば、まずチリ地震を指した。
家でも学校でも、子らは「この地は常に津波の危険と隣り合わせだ」と教えられる。チリ地震を忘れまい、地震が来たら高台へ-毎月24日の正午には、津波警報塔から教訓と追悼のサイレンが鳴り響いたものだ。
周囲の大人は当時の様子を「水かさが徐々に増していった」などと話していた。だが、北斎の絵のような大波こそ津波と考えていた子どもにとって、その描写はいまひとつ脅威には結び付かなかった。
自宅が3階建てだった私の場合、「津波が来ても2階にいれば大丈夫。最悪、3階なら助かる」と言い含められていた。疑ったことは一度もない。ところが、9年半前の大津波は、3階どころか屋上まであっさりのみ込んだ。
あの日、もし自宅にいたら、私は避難せず死んでいたはずだ。
「チリの時はここまで来なかった」と言って逃げなかった祖母は助からなかった。3・11では、チリ地震津波での打撃が少なかった市町ほど、人的被害が甚大だった。
「経験則は判断を鈍らせる」…苦い教訓を胸に刻む。非常時に自分の経験と常識を疑うこと、そこで下される冷静な判断だけが、命を守る道を開いてくれると。
さて、大船渡市では、チリ地震津波60周年慰霊祭が予定より1カ月遅れの6月24日に営まれた。
くしくも、翌25日、千葉県で震度5弱の地震が観測された。気象庁が東日本大震災の余震という見解を示したことで、「巨大地震の影響は、そう簡単には消えないんだよ」と警鐘を鳴らされた気がした。
「日本史上最大の直下型地震」といわれる濃尾地震(=震源は、現在の岐阜県本巣市)は今でも余震がある、と最近知った。
1891(明治24)年の発生から129年が経過し、経験者が残らずいなくなった後も尾を引いていると聞けば、誰しも驚くだろう。
東日本の余震もこれまで大小いくつも観測されているが、ここ2、3年は「まだ余震があるなんて」と毎回新鮮に驚いていた。
だが、46億年の地球の歴史を考えれば、10年程度の歳月は瞬きするより短い時間にしか過ぎない。地球にとっては、129年前すら「ついこの間」の感覚なのだろうから。
まして、「たった9年半前」の大地震となれば。この先も“長い付き合い”となることを覚悟しなけりゃな…と思うのだった。
■鈴木英里(すずき・えり) 1979年、岩手県生まれ。立教大卒。東京の出版社勤務ののち、2007年、大船渡市・陸前高田市・住田町を販売エリアとする地域紙「東海新報」社に入社。震災後、記者として9年間、被害の甚大だった陸前高田市を担当。現在、同社社長。