[世田谷一家殺害20年]<下>89歳遺族「なぜ」問い続け…時効撤廃、逮捕待つ

「昨年の刑法犯認知件数は戦後最悪で、世田谷一家殺害事件など凶悪、残虐な事件が国民生活を脅かしている」。2001年2月、衆院内閣委員会で伊吹文明国家公安委員長(当時)が危機感をあらわにした。
刑法犯認知件数が約181万件と戦後最多になったのは1996年。以来、7年連続で最悪を更新し、2002年には約285万件に上った。00年12月に起きた世田谷一家殺害事件は、当時の日本の治安悪化を象徴する事件だった。
治安回復を求める国民の声が高まり、急速に普及が進んだのが防犯カメラだ。
事件が起きた00年当時は世田谷区でも街中の防犯カメラは少なかった。警視庁は、近隣住民への聞き込みや遺留品から犯人を絞り込む従来の捜査を展開。だが、核家族化による地域社会のつながりの希薄化や、大量生産・大量消費の壁にぶつかり、捜査は難航した。
警視庁は02年2月、違法風俗店や路上犯罪が目立っていた新宿・歌舞伎町に初めて防犯カメラ約50台を設置。その後、各地の繁華街や商店街、住宅街、駅などにカメラを設置する動きが広がった。刑法犯の認知件数は減り始め、治安は改善していった。
警視庁によると、今年3月末時点で都内の繁華街などの防犯カメラは約2万5000台に上る。この20年で画質や保存期間も飛躍的に向上。事件が発生すると捜査員は真っ先に周辺のカメラ映像を回収し、その映像をつなぐ「リレー方式」と呼ばれる捜査手法で犯人の足取りを追う。
現在、都市部で起きた事件の大半は防犯カメラから容疑者が特定されている。急速に普及が進む自動車のドライブレコーダーの映像も、証拠として活用されるケースが増えた。
「世田谷一家殺害事件が起きたのが今であれば、早期に解決できただろう」。捜査幹部はそう語る。

事件は、日本の司法制度も大きく変えた。10年4月に実現した殺人罪などの公訴時効の撤廃だ。
前年の09年2月、事件で亡くなった宮沢みきおさんの父、良行さん(当時80歳)が中心となり、殺人事件被害者の遺族会「


( そら ) の会」を設立。重大事件の時効撤廃を求める活動を本格化させた。
これを受け、翌3月の参院法務委員会で、委員の一人はこう求めた。「例えば世田谷一家殺害事件では犯人のDNAがあり、年数がたてば証拠が減るという時代ではなくなった。遺族の悲痛な思いや国民の声を踏まえ、時効の撤廃に踏み切ってほしい」
これに対し、森英介法相(当時)は「ご指摘の点を肝に銘じて検討を進める」と答弁。法務省は1年後の10年3月、殺人罪などの時効を過去の事件にも遡って撤廃する刑事訴訟法改正案を国会に提出し、わずか1か月足らずの審議で同4月に成立、即日施行された。
当時を知る元警察庁幹部は「時効撤廃は以前の刑事司法の常識ではあり得ないことだったが、遺族の声に耳を傾けて法整備を行うべきだという機運が高まっていた」と振り返る。
時効撤廃を求める活動に奔走した良行さんは12年、84歳で他界した。さらに月日は流れ、現場のみきおさん宅は、建物の老朽化が進行。昨年には解体される予定となったが、遺族の要望もあって延期された。
みきおさんの母、節子さん(89)は今も毎日、一日の終わりにカレンダーに斜線を引き、「今日も犯人が捕まらなかった」と思い続けている。捜査の現場や司法制度は変革を遂げたが、遺族の時間は止まったままだ。「なぜ4人が殺されなければならなかったのか。それを知りたいのに、犯人が逮捕されない限り、何一つ分からないままなのです」
(この連載は、溝田拓士、矢野誠、大塚美智子、相本啓太、大井雅之が担当しました)