東京五輪開幕日まで残り50日を切った。菅政権は「安心、安全な大会の実現」を訴え、新型コロナウイルスの感染拡大阻止に躍起になっている。しかし、過去の五輪パラリンピックにおいて、完全に安心、安全な環境が整備された大会が実現したことはあったのだろうか? 平和の祭典であるはずの五輪は常にリスクに直面し、開催国が国際的な協力を得て、被害を軽減してきたのが実情である。
選手村が襲撃され、選手・コーチ・警官が死亡したミュンヘン大会
1972年ミュンヘン五輪では選手村が襲撃され、選手・コーチ、警官らが死亡。1996年のアトランタ五輪では、開催中に会場近くの公園が爆破され、多数の死傷者が出ている。他の大会でも、治安当局が公表していない、多くの犠牲者が出かねなかった紙一重の場面もあったに違いない。
私が新聞社から現地に派遣された2014年ソチ五輪、2016年リオデジャネイロ五輪のケースに限ってみても、開催直前に近隣都市での爆破テロ事件が発生したり、開催自治体の財政が危機的状態に陥って都市機能が麻痺したりして、多くの市民が危険な状況にあった。
世界が注目する五輪は、あらゆる意味でターゲットになる。ソチ五輪フィギュアスケート女子の浅田真央の涙のフリーも、リオ五輪陸上男子の400メートルリレーでの日本銀メダル獲得の快挙も、薄氷の安全の上に成り立っていた。もし中止されていれば、今後、何十年も語り継がれるあの感動のシーンは、存在しえなかった。
当時、ロシア、ブラジルの駐在特派員だった私の大きな仕事の1つは、大会期間中に東京・大阪の本社から派遣される取材団全員の安全を守ることだった。取材団の中には女性記者も多かった。そのために、治安情報のネットワークを張り巡らし、有事が発生した場合にはいかに全員を無事に帰国させるかについて、常に気を揉んでいた。
武装勢力が「どんな手段を使ってもソチ五輪を阻止する」と宣言
2014年2月に開催されたソチ五輪では、イスラム過激派の脅威にさらされていた。黒海東沿岸に位置するリゾート地ソチは、過激派が根城にしていた北コーカサス地域に隣接している。開催7カ月前に独立派武装勢力の指導者が「どんな手段を使ってでもソチ五輪を阻止する」と宣言し、以来、ソチの近隣地域で自爆テロが相次ぐようになる。
ソチから約700キロ離れたロシア南部の要衝都市ボルゴグラードでは、開催40日前の2013年12月末、2日続いて50人以上が死傷する連続爆破事件が発生した。実行グループは厳重警戒をかいくぐって、自爆テロを決行していた。
開催3週間前にはこの連続自爆テロの犯行声明がネット上に公開された。「(ソチ五輪に来る)旅行者にもプレゼントがあるだろう」と警告され、国際オリンピック委員会(IOC)や各国のオリンピック委員会(NOC)にも届くようになった。
自爆テロの意思を持つ「黒い未亡人」がソチに潜入との情報も
五輪は期間中、世界中に開放され、多くの人たちが訪れると思っている方々も、日本には多いかもしれない。しかし、その考え方はそもそも間違った幻想だ。期間中はむしろ海外からの旅行者が減る。五輪の成功例とされるロンドン五輪でさえ、パラを含めた開催時期の3カ月間で、旅行者が減少したことが報告されている。
ソチは治安対策のため、五輪期間中、閉鎖都市と化した。1カ月前からソチナンバーの車両や緊急車両以外、通行できなくなった。至るところで軍や警察の「見せる警備」が徹底され、厳重な検問、職務質問が行われた。
プーチン政権は、テロを起こす可能性のある人物の手配写真を公開した。駅や主要ホテルなど至る所に、自爆テロを起こす可能性の高い容疑者の女性3人の写真が貼られていた。独立運動で夫や家族をロシア治安当局に殺害され、自らも自爆テロの意思を持つ「黒い未亡人」だった。彼女らもまたソチに潜入したとの情報が駆け巡った。
「腹にダイナマイトをまいている疑い」をかけられた日本人
東京からやってきた私の同僚は大柄なのだが、ある時、移動した際に利用した鉄道の主要駅で治安要員ににらまれ、下着以外の服を全部脱ぐよう命じられた。「あなたは腹にダイナマイトをまいている疑いがある」。彼は半裸になって、身の潔白を証明した。
いつも冗談を言い合う彼がプレスセンターに帰ってきて真顔で「佐々木さん、ひどい扱いを受けました。怖かった……」と語った。そのエピソードを聞いたとき、私は「ロシアの治安当局にホスピタリティーはない。東京では絶対にありえない経験だ」と彼に伝えたことを覚えている。普通の日本人がテロ容疑者に疑われるほどの現地での警戒ぶりがこのエピソードだけでもわかるだろう。
米国政府は有事が起こった際に、ソチから自国民を緊急離脱させるための策を練っていた。日本政府はどうなのか? と外交官に聞いたら、日本政府も米国政府の協力を得て、プランを練っていると答えた。
ソチ五輪の後半には隣国ウクライナで抗議デモが悪化し、警官隊と過激派が衝突。首都キエフが火の海になった。こちらにも騒動が飛び火してくるかもしれない。私は取材団の安全を第一に考え、なんとか五輪が無事に終わってほしいとひたすらに願った。結局、プーチン政権は国家の威信をかけて、ソチの安全を守ったのである。
「地獄へようこそ」ソチよりも危険度の肌感覚が高かったリオ五輪
危険度の肌感覚でいえば、ソチよりもリオデジャネイロのほうが高かった。
開幕1カ月前の2016年7月、大会関係者の入国ラッシュが始まった。この節目の日を利用して、地元の警察官と消防団の組合が国際空港の入国ゲート付近で、抗議デモを行った。彼らはこんな横断幕を掲げ、入国してくる外国の五輪関係者にアピールした。
「地獄へようこそ」
2016年夏、ブラジルはかつての経済成長の勢いはすっかり姿を消し、不況のどん底へと坂を急スピードで転がり続けていた時期だった。国家財政は火の車。リオ州は財政の非常事態宣言を出し、都市機能が麻痺していた。
その結果、犯罪が多発した。麻薬の売買を資金源とする「ファベーラ」(貧民街)と警官隊の「内戦」(リオではこう言われていた)が激化。麻薬組織の一員はマシンガンやランチャーさえ持っており、街では重武装した警官隊との銃撃戦が頻発し、2016年は4月までの4カ月間で35人の警官が殉職、4日に1人の警官の命が失われていた。
それにもかかわらず、州財政逼迫のあおりで、警察官には給料が何カ月間も未払いの状況が続いた。死に直面しながら、給料も受け取れず、使命感だけでギャングに対峙するのは無理だ。警察官らはそのことを海外に訴えようと、空港でデモを行ったのである。警官らは「われわれは給料が支払われていない。リオに来る人は誰でも安全ではない」と訴えた。
歩きスマホは1000ドル紙幣を見せながら無防備で歩いているようなもの
開幕50日前にはこんなこともあった。麻薬組織が期間中に指定医療機関になる公立病院を襲撃したのだ。病院には1週間前に警察に捕まり、治療を受けていたリーダー格の仲間がいた。麻薬組織の一員はマシンガンなどで武装し、病院内に侵入し、仲間を連れて逃亡した。この病院はマラソンのスタート・ゴール地点となる施設「サンボドロモ」のすぐそば。銃撃戦の末、市民一人が巻き添えにあい死亡した。
リオでは、財布を持って街を歩くことはできなかった。平穏に思える街中でもいつ何時、銃をつきつけられて、金品を奪われるかわからない。市内では車に乗っていても赤信号で止まってはいけない箇所があった。ボトルネックになっている道路で、赤信号で渋滞が起これば、そこにギャングが現れてドライバーや同乗者に銃をつきつけ、次々に金品を奪っていく。路線バスも同じで、時々、停留所でギャングが襲撃し、乗客から財布を奪った。ギャングは腹いせに帰り際、バスに火を放つこともあった。警官が駆けつけるころには、もうギャングたちは逃げて、決して捕まることはない。犯人たちはファベーラの10代の若者で、ローティーンの者も多かった。
歩きスマホなどもってのほかだった。高性能のスマホ、特にiPhoneは、リオでは中古品であっても高値で取引される。現地の総領事館職員に「歩きスマホは、800ドルから1000ドルの紙幣を見せながら無防備で歩いているようなもの。絶対にやめてください」と注意された。
日本に帰ってきたとき、赴任先は大阪本社だったのだが、道頓堀の商店街を歩いたとき、スマホをいじりながら通り過ぎる若者や無防備の女性たちを見て、「このギャップはなんだろうか」と真剣に考えた。店の入口に商品を置くドラッグストアや、深夜遅くまで営業している飲食店を見て、冗談ではなく「これがリオなら多くの店が被害にあっているな」としみじみ思ったものだ。
五輪は先進国のためのものではない
そんなリオやソチの暮らしぶりを友人・知人らに報告すると、多くの人から「なぜそんな所が五輪の開催都市に選ばれたのか?」と聞かれた。日本の庶民感覚からすると当然の質問だと思う。ただ、私は五輪の意義を直に味わった経験をふまえ、こう答えた。
「その感覚は、先進国で安全な国に住む人たちのエゴなんです。五輪は先進国のためのものではない。リオは確かに治安は悪かったけれど、五輪がもたらすスポーツの力で街が再生した。五輪期間中は一時でもみんながスポーツを楽しみ、平和のありがたさを体感していた」
私は、リオ五輪でサッカーのブラジル代表が最後に優勝して、この逆境に苦しむ多くの市民が喜びを爆発させ、街が歓喜に沸いたあの風景を忘れることができない。ファベーラの子供たちに希望をもたらした金メダルだったことは疑いの余地はない。
誤解を恐れずに言えば、今の日本はコロナ禍であっても、アスリートにとって、当時のソチ、リオよりも数字の桁が違うほど安全、安心だと私は思っている。もちろん、コロナは命を奪う恐ろしい感染症だ。ただ、どんな大会であっても、そうした逆境を乗り越えて、100年以上も開催されてきた経緯を忘れてはならないだろう。
中止か、開催か――、日本は揺れている。この東京で徹底的にさまざまな観点から話し合い、その議論の結果を残すことこそが、21世紀の世界に伝えるレガシーなのではないだろうか。
(佐々木 正明/Webオリジナル(特集班))