「離婚するなら殺す。カッターで顔を」死刑囚“4度の結婚歴”と妻A子さんの焦燥…宅間守は「A子と話が出来んのよ」

「あの世で子どもをしばいてやる」出刃包丁で児童8人を次々と殺害…死刑が確定した“夫”と30代女性が獄中結婚した理由 から続く
「文藝春秋」12月号より、ノンフィクションライターの小野一光氏による「なぜ死刑囚・宅間守の妻になったか」を公開します。(全3回の2回目/ #3 へ続く)
◆ ◆ ◆
結婚を希望する別の女性
じつは同時期に宅間との獄中結婚を望んでいた別の女性がいたという。ここではB子さんとする。
B子さんは愛知県に住む当時36歳のフリーターだった。A子さんと同様に、公判中から戸谷弁護士を通じて、宅間に手紙を送ったり差し入れを続けていた。彼女もまた宅間との直接の面会を強く望んでおり、獄中結婚も辞さない覚悟だった。
宅間と結婚したA子さんはメディアの前に姿を現すことはなかったが、B子さんは04年に女性週刊誌の取材を受けている。
〈「彼が“世の中は皆、敵や”と供述していると報道で知って、“そうじゃない、私は敵じゃないよ”って伝えたかったんです」
とB子さん(原文実名)はいう。自身は厳格な父の暴力を受けながら育ち、学校でもいじめに遭うなどして、周囲を嫌悪してきたという。
「高校を卒業後は家出して職業を転々としました。好きになった男性から暴力を受けたりして、ますます社会を嫌悪するようになっていました。そんな私だから、宅間さんを理解できると思ったんです」(B子さん)〉(『女性セブン』2004年2月5日号より)
B子さんには計算がある
彼女は自らの境遇を宅間と重ね合わせ、そこにシンパシーを感じたことで、このような発言が出てきたのだろう。とはいえ宅間はB子さんではなく、A子さんを選んだ。そのため同記事のなかには、〈宅間死刑囚とA(子)さんの結婚を知り、ショックにうちひしがれた〉とある。
前出の戸谷弁護士はB子さんの印象を次のように話す。
「簡単に言うと、宅間さんの妻になったら有名人になるわけじゃないですか。B子さんには、そうした計算があるように感じてしまいました」
手厳しい意見に感じられるかもしれないが、戸谷弁護士がこうした発言をするのも、宅間の嘘と暴力にまみれた女性遍歴を熟知する弁護人だからだ。事件前、宅間は4度の結婚・離婚を繰り返していたが、今回の取材で全容が明らかになった。その概要を以下に記す。
「離婚するなら殺す」
(1)90年6月に結婚したC子さん
看護師の合格者名簿から看護師を呼び出そうとした宅間は、電話をかけ間違え、国立大学の研究員だった19歳年上のC子さんと知り合う。宅間は自らを医師であると偽って交際し、知り合って1カ月で結婚し、彼女のマンションに転がり込んだ。しかしやがて嘘であるとバレ、C子さんは離婚の意思を固め、同年9月に大阪地裁で協議離婚。C子さんは宅間と別れるために慰謝料120万円を支払っている。
(2)90年10月に結婚したD子さん
C子さんと結婚前の同年3月頃から、宅間の小学校時代の教諭だった20歳年上のD子さん宅に電話をかける関係が続いた。C子さんとの離婚話が持ち上がり、宅間が相談を持ちかけた際、半ば強引に肉体関係をもつ。C子さんとの離婚後に結婚。当初宅間はD子さんに対し、日本航空の関係会社に勤務していると嘘をついていたが、結婚後に嘘をついていたことを打ち明ける。結婚解消の話が出たものの、宅間が兵庫県伊丹市の職員(市バス運転手)に採用されたことで、一旦保留となる。しかし、93年9月、テレホンクラブで知り合った女性に対し、強姦容疑で逮捕(後に不起訴)され離婚する。
(3)97年3月に結婚したE子さん
96年8月に神戸市内のホテルでのお見合いパーティで知り合う。E子さんは宅間よりも2歳上の35歳。色白で目が大きく鼻筋が通った、宅間の好みのタイプで、彼から声をかけて交際が始まり結婚に至る。E子さんは結婚にそれほど乗り気ではなかったが、宅間が「結婚しなければ、お前を殺して私も死ぬ」などと言って強引に結婚する。宅間は知り合った当初は市バスの運転手だったが、結婚した直後からゴミ収集の作業員に配置転換となった。その際、E子さんには市の環境クリーンセンターで害虫駆除の仕事をしていると嘘をついていた。
97年10月頃に妊娠が発覚。しかし過去に宅間が金銭目当てで養子縁組し、離縁していた女性がE子さんの実家を探し当て、宅間の悪行を暴露する。E子さんは離婚調停を申し立て、堕胎することを通告。激高した宅間は「離婚するなら殺す。カッターナイフで顔を切ってやる」などと脅したが、98年6月にE子さん側が200万円を支払うことで離婚が成立。同年8月、兵庫県内の職業安定所でE子さんを待ち伏せした宅間は顔面を殴打するなどの暴行を加え、傷害容疑で逮捕、起訴されている(罰金15万円)。
(4)98年10月に結婚したF子さん
3歳年下だったF子さんと宅間は、お見合いパーティで出会って、ほどなくして結婚。F子さんは、「宅間に生活の面倒を見て貰いたい」と周囲に語っていた。一児をもうけるが、妊娠中の99年3月、宅間は、用務員として勤務していた伊丹市内の小学校で、教師4名に精神安定剤入りの茶を飲用させて傷害容疑で逮捕(同年4月に措置入院となり起訴猶予)。3月末に離婚する。
以上のように、自身の経歴を偽って相手に近づき、結婚した途端に高圧的な態度を取り、己の意思に沿わなければ躊躇なく暴力を振るう――。
こうした過去の結婚生活について知る戸谷弁護士は、よほどの覚悟の持ち主でないと、たとえ獄中結婚といえども、宅間との交流は難しいと考えていた。
そんな戸谷弁護士を納得させる熱意が、A子さんにはあったということだ。また一方の宅間は、A子さんとの結婚を選択したことについて、「(A子さんは)別嬪さんやったから」と、その理由を語っている。
A子さんの焦燥感
宅間との獄中結婚の願いを叶えたA子さんは、もう一人、宅間の関係者にも接触していた。東海女子大学(現:東海学院大学)の元教授で、現在は「こころぎふ臨床心理センター」のセンター長を務める長谷川博一氏である。
長谷川氏は研究者として、宅間が死刑判決を受けて以降、刑が執行されるまでの間に、大阪拘置所長から特別許可を得て、彼と15回の面会を重ねている。長谷川氏が宅間と面会をしているとの情報を得たA子さんは、彼にも接触を試みたのだ。
長谷川氏が当時を振り返る。
「大阪地裁で死刑判決を受けて、死刑が確定するまでの間にまず2回、接見禁止の部分解除を受けて面会をしていました。そのことが報道され、私のことを知ったのだと思います。A子さんからの手紙にははっきりと、『(面会や文通などの)外部交通権の確保のために入籍しました』と書いていました」
A子さんは精神的に追い詰められていた
その手紙が届いたのは04年1月31日のこと。速達で送られたものだった。手紙にはA子さんの連絡先が書かれており、長谷川氏はすぐに彼女と連絡を取り、翌2月1日に大阪駅の喫茶店で会っている。
「当時、宅間さん本人は、早く死刑を執行して貰いたいと考えていた。そうなると再審請求などもしないため、刑が早く執行されてしまう。彼女は『死刑執行を踏み止まらせて欲しい』と、私に手助けを求めてきました。宅間さんが自暴自棄に陥るのを防ぐためにも、まずあなたが期待しすぎないようにと助言しました」
以降、A子さんから頻繁に電話がかかってくるようになった。
「彼女は精神的に追い詰められていた。マスコミに自宅住所を知られて、取材されるのではないかと恐怖を訴えていました。不安で不安でしょうがない、眠れない、と。電話口で何度も相談に乗りました」
宅間守は「A子とは話が出来んのよ」
一方で、宅間はA子さんについて、自分の妻という意識を明確に持っていたようだ。長谷川氏の面会記録には次の記載があった。
〈「A子とまた電話したってください。また手紙書きます」と言って、ペコペコ頭を下げながら部屋を出て、再度振り返った〉(2月17日)
またこの日、長谷川氏は宅間との面会後にA子さんと会っている。
〈妻(A子さん)は、再審請求のことを検討していた。手紙にどんな返事を書いたらいいのか、しんどい様子がありあり。(長谷川氏が)「これから何年間、ずっと続けても無理にならない程度に仕切り直しをしたほうがいい」と助言〉
「死んでほしくない」「こんなに苦しいんだね」
死刑執行を遅らせたい、そのために再審請求を出させたいA子さんと、早期の死刑執行を望む宅間との間には深い溝があったようだ。
〈面会後、妻のA子と会い、30分程度話す。(中略)妻は心労が高まり、限界が近い様子。自分の立場が定まらない様子。彼の「死という選択」に対して、どう受け止めたらいいのか。涙を流す場面も。(長谷川氏は)「尊厳ある死も」「彼の選択の尊重」も提案。妻として「死んでほしくない」「こんなに苦しいんだね」の2つの真実の心を伝えていけばよいとアドバイス。傾倒しすぎないことも、再度確認〉(同前)
当時の状況を長谷川氏が明かす。
「じつは私は、宅間さんからA子さんに対する不満の声も聞いていた。彼は、『早く死刑執行してほしいとか、こんな生き地獄は死んだ方が楽だとA子に言うと、「そんなことだめだ」って言うばかりで、話が出来んのよ』と。なので、A子さんに対しては、妻だったら自分の考え方に執着するだけではなく、彼に共感を示して寄り添ってあげる方がいいとアドバイスしていました」
助言に従って、徐々にではあるがA子さんも考え方を変えていく。
( #3 に続く)
「ほら見て、こんなになってる」死刑囚の縄の痕を見せて号泣する妻A子さんの願い…“宅間さんの遺体を引き取りたい” へ続く
(小野 一光/文藝春秋 2021年12月号)