「離婚するなら殺す。カッターで顔を」死刑囚“4度の結婚歴”と妻A子さんの焦燥…宅間守は「A子と話が出来んのよ」 から続く
「文藝春秋」12月号より、ノンフィクションライターの小野一光氏による「なぜ死刑囚・宅間守の妻になったか」を公開します。(全3回の3回目/ #1 、 #2 から続く)
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妻に宛てた遺言
宅間が長谷川博一氏に出した8月3日付の手紙には次のようにある。
〈今日、A子さんに面会で、「早期執行を強く願っているが、君の活動とスタンスが、合わないようやったら、籍を抜いてくれてもよい」趣旨の事を言いました。しかし、籍は、抜かないし、面会も来ると言いました。他にも言いましたが、照れが入り秘密にしときます。つまり、A子さんの了解も取れたと言う事です。これで、胸のつかえが、取れました。今まで、主張は、していたものの、ヘソを曲げられたら、いかんと思い、だまし、だまし、していたのが、実状でした。これで、妻帯者として死んで行ける事が、ほぼ確定しました〉
宅間夫婦の心境の変化を長谷川氏はこう分析する。
「死刑廃止に邁進する活動家だったA子さんが次第に一人の妻へと変貌する現象が起きたんじゃないかなと思います。A子さんの面会目的が少しずつ変わっていくにつれて宅間さんに少なからず影響を与えたと思います。まあ家族の絆ですよね。それまでの人生で彼が経験したことのないものです」
2004年9月14日、死刑が執行される
長谷川氏の口から次いで出た言葉に思わず息を呑んだ。
「ただし見せかけの絆ですよね。A子さんはアクリル板に守られていましたから。もし彼が自分の魂を全力でぶつけてきたら、間違いなく彼女は暴力の被害に遭っていた。彼は心理的に感情をぶつける際、暴力をふるう性向がある。とくに相手が異性で、しかも妻という立場の女性には必ず……」
2004年9月14日、収容先の大阪拘置所で、宅間守の死刑が執行された。
長谷川氏が当日の記憶を語る。
「午前11時頃、A子さんから連絡がありました。『執行されました』と彼女は泣きじゃくっていました。すぐに大阪に向かったのです。遺体が置かれていたのは西成区にある無縁仏の納骨堂がある部屋でした。私が到着すると、A子さんは激しく泣き、棺の蓋を開けて『見てください』と。彼女は亡骸の首を持ち上げ、『ほら、見て、こんなになってる』と食い込んだ縄の痕を見せてきました。
そこでA子さんから遺体引き取り時の状況も聞きました。拘置所の裏門で、棺が載った車に乗ろうとすると、職員が駆け寄ってきて、宅間さんからのメッセージを伝えに来た。『ありがとうって僕が言っていたと彼女に伝えてください』と。この言葉で、彼女は救われたと思います」
宅間さんの遺体を引き取りたい
この日のA子さんの行動については、その後の取材でだいぶ明らかになってきた。
宅間の死刑が執行され、死亡が確認されたのは午前8時16分。そして午前9時40分頃に大阪拘置所の職員がA子さん宅を直接訪れ、マンションの一階で対応した彼女に対し、「今朝、綺麗に逝きましたよ」と刑の執行を知らせている。
その後、A子さんは戸谷弁護士や長谷川氏、死刑制度反対グループの関係者などに電話を入れると同時に、大阪市内のQ弁護士のもとを直接訪ねている。
Q弁護士が明かす。
「死刑執行当日、いきなりA子さんが事務所にやってきて、宅間さんの遺体を引き取りたいと頼んできた。それは驚きましたよ。『助けてくれ』と泣きながら事務所に飛び込んできましたから。それで私が拘置所に電話を入れて、そちらに葬儀業者を行かせるからと交渉しました」
「どこにでもいる連れ合いを亡くした奥さんという印象」
葬儀は協力関係にあったNPO法人「葬儀費用研究会」が引き受けることになった。しかしここで問題となったのが、宅間の遺体をどこに運び入れるかということである。
誰もが知る凶悪事件の犯人であり、当然ながらマスコミもその行方に関心を持っている。そこでQ弁護士が連絡したのが、大阪市西成区にある「社会福祉法人 聖フランシスコ会 ふるさとの家」だった。キリスト教フランシスコ会が運営する、日雇い労働者のための支援施設で、建物内には納骨堂もあり、行き倒れた無縁仏の遺骨の保管なども行っている。
「ふるさとの家」を運営してきた本田哲郎神父が振り返る。
「死刑制度反対のグループが中心になって、見送る会を行ないました。奥さんもそのグループの一人のようでした。20人くらいは来られたかな。ご遺体のまわりに献花をして、みんなでそれぞれのかたちでお焼香をしました。A子さんは、どこにでもいる連れ合いを亡くした奥さんという印象しかありません」
A子さんの手記「衷心よりお詫び申し上げます」
死刑執行2日後の9月16日、遺体は大阪市大正区にある火葬場で荼毘にふされた。参列者によれば、A子さんは宅間の遺骨を骨壺に入るだけでなく、すべて持ち帰ったという。また、葬儀代金の25万5800円は、彼女が支払っている。
同年9月19日に行われたアムネスティ・インターナショナル日本などが主催する『死刑執行に対する抗議集会』に、A子さんは手記を寄せている。
〈ここに生前の夫が行ないました取り返しのつかない大罪に、衷心よりお詫び申し上げます。また、昨年末の入籍の際には、世間をお騒がせし、恐らくは、多くの方々に大変に不快な思いをお掛けしてしまったであろうことを、重ねてお詫び致します。
本来ならば、親族となった私は、夫に代わり、被害者、及び、遺族の皆様方の前には直々に参上致し、心からのお詫びを申し上げなければならないところなのですが、死刑囚と婚姻したという、非常識とも取られてしまうような立場である私のような者が、未だ心の深い傷が癒えぬままでおられるであろうご遺族の皆様方の前に参上するのは、更にお心の傷を抉ってしまうばかりか、とも思い、静かに時間の経過を待つことだけしか出来ないままに日々過ごして居りました。(中略)
夫の死刑執行の知らせを受けたことにつきましては、今は、ただただ、「許されるのなら、せめてもう少しだけ、彼と対話を続けるための時間が欲しかった」との思いで、自らの力不足を悔やむ以外に術が見つからないような心境です〉(月刊『創』2004年11月号より)
それから17年が経つ。現在の心境を伺えないかと、戸谷弁護士を通じてA子さんに取材を申し込んだが、「申し訳ありませんが、表に出ることは遠慮させていただきたい」との答えが返ってきた。
果たして、彼女は、自ら切望した死刑囚との獄中結婚を叶えた先に、何を見たのだろう。
(小野 一光/文藝春秋 2021年12月号)