平成7年の阪神大震災では、それまで比較的安全とされていた兵庫県西宮市などの200カ所以上で盛り土の地滑りが発生、仁川百合野町地区では34人が亡くなった。人口増に伴い盛り土の上に住宅を建設してきた大都市に共通するリスクが初めて浮き彫りとなったケースとみられ、専門家は「盛り土崩落はいつ、どこにでも起こりうる災害だ」と警鐘を鳴らす。
どこでも起きる
被災直後の平成7年1月、地質調査所(現・産総研地質調査総合センター)の職員だった釜井俊孝氏(現・京都大防災研究所教授)は調査のため訪れた兵庫県西宮市で意外な光景を目にした。阪急西宮北口駅から六甲山麓に続く住宅街のいたるところで地滑りが起きていたのだ。
地滑りの専門家である釜井氏が意外と思うのには理由があった。高度経済成長を経て現代化した都市が受けた最初の地震とされる昭和53年の宮城県沖地震で仙台市内の造成地で多数の盛り土が崩落し、犠牲者も出た。当時、これらは仙台の丘陵を形成する砂岩や泥岩が地下水による湿潤と乾燥を繰り返すうちにもろくなる「スレーキング」と呼ばれる現象が原因と考えられており、地盤の性質が異なる阪神地域で造られた盛り土は同じような被害は出ないと考えられていた。
ではなぜ発生したのか。釜井氏は住宅街を歩き回り、白地図に地滑りの発生した場所を記録した。
西宮市相生町の阪急夙川駅近くでは昭和初期に開発された古い宅地は古くからある台地の平坦(へいたん)部に建てられていて無事だった。一方、戦後、高級住宅地としての需要に応えるため、谷の内部や低地に盛り土をして造成された宅地が集中的に被害を受けていたことがわかった。
ある家では床下をがすと、地面から砂が混じった水が噴き出す「噴砂」が起きており、盛り土が地下水に対して極めて弱いことを物語っていた。釜井氏は「地下水の存在が盛り土の強度に深刻な影響を与えるとわかったのが、阪神大震災だった」と振り返る。
遅れてきた公害
人の手によって積まれた盛り土が後世の住民に被害をもたらす様子を釜井氏は「遅れてきた公害」と話す。釜井氏は「盛り土崩落が日本のどの街でも、起こりうるということが阪神大震災で分かり、強い危機感を感じた」と振り返る。
国も手をこまねいているわけではない。阪神大震災や平成16年の新潟県中越地震の被害を受け、18年には宅地造成等規制法が改正され、新たに盛り土を造る際の基準が厳しくなった。
また、昨年7月に静岡県熱海市で26人が亡くなった盛り土崩落を踏まえ、政府の有識者検討会は昨年末、危険な盛り土を一律で規制する法制度の構築を提言するなど議論が進められている。
一方で、すでに造られている盛り土のリスクは残ったままだ。東京や大阪などの大都市では、人口増により都市圏が拡大するたびに盛り土が造られた経緯があり、釜井氏は「危険な盛り土は多い」と指摘する。
大阪市内を南北に延びる上町台地の周辺に多くの古い盛り土がある大阪も事情は同じだ。昨年6月には台地の一角に位置する大阪市西成区で、斜面際に建つ民家2棟が造成されていたのり面ごと倒壊した。
盛り土のリスクに対処する上で鍵となるのは住民の自己防衛意識だ。地下水位の状態はボーリング調査以外でも、自治体に問い合わせれば確認できるケースもある。釜井氏は「行政側がリスクを可視化し、住民が適切に自己防衛できる仕組みの構築が必要だ」と強調した。(花輪理徳)