「投げた石が一つ、大きな池を作った」 米澤穂信さんに直木賞

「黒牢城(こくろうじょう)」(KADOKAWA)で、第166回直木賞に決まった米澤穂信さん(43)の記者会見の一問一答は以下の通り。【伊藤遥/学芸部】
どう呼んでもらってもうれしい
――今のお気持ちから。
◆大変光栄に思います。以前、ある編集者の方が、私の小説を指して「普通、池のあるところに石を投げるように書いていくことが多い。しかし、米澤さんは何もないところに石を投げるように小説を書いていく。そこに池があるのかなと思っていると、自分の投げた石で池を作っていってしまう。そういうことをしているね」と言われたことがありました。それを言われた時には「大それたことを」と思わなくもなかったんですけれども、今こうして一つの結果をいただいて、投げた石が一つ、大きな池を作ったのかなというふうに思っています。
――ニコニコ動画ユーザーの皆さんからいただいた質問を二つ。愛知県の20代女性の方から。「中学生の頃から15年以上、米澤先生の作品のファンです。米澤先生は昔からファンに愛され、ネット上では“よねこ”の愛称で呼ばれていますが、名誉ある直木賞を受賞された今後も“よねこ”と親しみを込めて呼び続けてもいいでしょうか」
◆そうですね、もう15年……、まあほんとに20年読んでいただいているのはありがたい限りです。どのように呼んでいただけても大変うれしく思います。
――もう一つ、東京都の30代男性の方です。「これまでにたくさんのミステリーを書かれてきましたが、これまでに書いてきた登場人物で、いまだに一番謎だと思うのは誰ですか」
◆うーん……。そうですね、やっぱり人の心は分からないことが多い。どの人物も外側は自分で分かったつもりでいても、著者自身もその人物が人間として立ち上がってくればくるほど、分からないところが見えてくる。そういうものだと思いますので、この人が特に分からないというのはすぐには思いつかないですね。申し訳ないです。
――書き上げた時は「誰が読むんだろう」というような不安もあったと発言していました。今回、直木賞で評価されたことについて改めて感想を。
◆これまで度々あったことではあるんですけれども、最初に着想をする。ただ、その着想をいざ書く時に、「一体これは出版社の方に出していただけるものなのだろうか」「読者が喜んでくれるものなのだろうか」というふうに思い悩んで、「もうちょっと一般的なものを書きましょうか」「もうちょっとそこに大きな池があることが分かっているものを書きましょうか」というふうに申し上げることがこれまでも何度かありました。しかし、あまりに外れたアイデアだったら、編集者の方も「そうですね」とおっしゃいますが、中には「いえ、ぜひそれで書いていきましょう」「最後まで書き抜いてください」とおっしゃることがあった。それは例えば「満願」であったり、例えば「折れた竜骨」であったり、そして今回の「黒牢城」もそうでした。書いていく時に、果たして戦国時代、16世紀の日本を舞台にしたミステリーを書いて、その中で当時の時代、世界を描いていくということに、読者が米澤を読んで面白かったと思ってもらえるのかと思い悩んでいたんですが、編集者の方は「いや、それはぜひ書いてください」とおっしゃってくださった。正しかったなというふうに思っています。
――これまでミステリーに軸足を置きながら、高校生の日常を描いたような作品から、全く時代も空間も違うような作品まで非常に幅広い作風だが、今後、どのような作品を書き続けていきたいですか。
◆いろいろ書きたいことは胸の中にありまして、その中のどれが次に自分の書くものとして浮かび上がってくるのかはちょっと自分でもコントロールができないところがあります。ミステリーと、それからそこで分かれる、時代、時、そして人、そういうものが三つ重なって、ようやく初めて自分の中に小説が浮かび上がってくるんですが、次にどういうものが浮かび上がってくるのか、自分自身も不安半分、楽しみ半分に考えているところです。
ミステリーは軸足で柱 一生変わらない
――今後もミステリーを書くのでしょうか。
◆そうですね、ミステリーというのは私にとって非常に大きな軸足です。その軸足があったからこそ、どのような舞台を描いても、どのような世界を描いても、自分の小説というものを書いてこられた。それは間違いのないところだと思います。なので、これからもその軸足というのは大事にしていく。ただ、先ほども申し上げましたように、これから先、自分がどういう小説に出合うのか、どういう小説が、自分が書かなければならないものとして浮かんでくるのかっていうのは、自分でも分からない。もし今度の小説が絶対にミステリーを必要としない、ミステリーを必要とした場合はかえって小説を損なうだろうというお話に巡り合ってしまった時、それでもミステリーを書くのかというのは自分でも分からない。ただ、ミステリーが自分にとっての大事な軸足であり、自分の柱だというのは一生変わらないと思います。
――岐阜県のご出身ですが、岐阜県の風土や生まれた環境が自身の創作や作家活動にどのような影響を与えていると思いますか。
◆そうですね……。学校で教わることが多かった私にとって、さまざまなことに疑問を持つという最初期の記憶がありまして、私は岐阜県の中でも飛の生まれです。おそらく私の記憶が間違っていなければ、飛でこの賞をいただくのは初めてではないかと思うんですけれども、飛というのは江戸時代に幕府領だったんですけれども、一体どうして飛が幕領なのかというのは当時とても疑問だった。ある時、学校の先生に「それは、飛は材木がとれたからだよ」と教わったんですけども、その時はそれでよかった。「そうだったのか」と思って済んだんですけれども、後々になって「じゃあその材木はどこに運んだのか」「どうやって運んだのか」「どこで必要としたのか」、そういうことが疑問になっていった。そういう自分の生まれ育った場所のことをもっと知りたい、これは一体どういうことなのだろうと自発的に調べたという経験は、もしかしたら自分が小説を書く最も基礎的な姿勢になっているのかもしれないと思っています。
――地元にも米澤先生のファンが多い。地元の若者へ一言メッセージを。
◆広く読んでいただけて、とてもうれしくありがたいと思っています。これからもよろしくお願いいたします。
牢の中の官兵衛が立ち上がってきた
――今回の作品の中で黒田官兵衛がとりわけ印象に残りました。特に最後の独白のシーン。この小説を書かれる上で、黒田官兵衛の最初のイメージと、執筆する中でそれが変わっていったり、何か発見したり、それらが最後のシーンにつながったりなど、あったのでしょうか。
◆私はこの小説の中で最初から割とそうだったんですけれども、集団と個を書いてきたつもりです。作中の荒木村重は集団の論理、組織の論理で動く。しかしただ一人、牢の中にいる黒田官兵衛は個の論理で動くことができる。そういう人物を書いていったつもりでした。なので最後まで個の論理で集団の論理に抗する黒田官兵衛というのが書いていけるかなと思ったんですけれども、取材を進めていくうちに、「黒田官兵衛遺訓」という文書に出合いまして、書かれている文章を見た時に「これだ」と。「これがこの小説を締めくくる官兵衛の言葉になるだろう」と。つまり、個の論理で集団の論理に抗した、牢の中でただ一人だった黒田官兵衛が福岡の領主として、上に立つ者としてこれから生きていく。その論理に出合う場面を書けば、この小説というのは一つ、幕が閉じられるのではないか。そう気付いた時に、牢の中の官兵衛というのが、ただの囚人ではなく、一人の人間として、そしてやるべきことのある人間として立ち上がってきたように思います。
――最後に言い残したことがあれば。
◆なんとかいい小説を書いていきたいと、そう思っていました。今回、直木賞という賞をいただいて、少なくともここまではいい小説の方を向けていたんだよということを選考委員の方々におっしゃっていただいたような気持ちでいます。しかし、本当にいい小説、自分が書いていくべき小説がどういうものであるのか、この先、どういうものを書いていくのが自分の仕事なのかというのは、いまだに漠として分からないところがあります。この賞をいただいたことを、ここまでは間違っていなかったんだよというメッセージと受け止め、次の仕事を始めていきたいと思っています。