韓国の主張は「時代が違います」自民・高市早苗政調会長が語る、佐渡金山をめぐる世界遺産推薦の行方

自民党・高市早苗政調会長が1月25日、佐渡金山をめぐる世界遺産推薦の行方について語った。
佐渡金山
ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(1月25日放送)に自民党・高市早苗政調会長が出演。「韓国が反発する佐渡金山をめぐる世界遺産推薦の行方」について語った。
飯田)1月24日の予算委員会ではトップバッターで質問にも立たれ、「地方からいろいろな声があります」とおっしゃられました。佐渡島の世界遺産登録についてですが、2月1日の期限までに申請を出すのかどうか。
高市)今年(2022年)に出さないのであれば、もう来年以降は出したらいけないと思います。2月1日に政府から佐渡金山をユネスコに推薦していただければ、来年6月には結果が出るわけです。
飯田)来年の6月には。
高市)来年の夏を過ぎてしまいますと、ユネスコ世界遺産委員会の委員国のなかで任期切れになる国が出て、来年の秋からは新たに韓国が委員に入って来るということを外務省から聞きました。そうなると、余計に大変な話になってしまいます。
高市)そもそも、佐渡金山は江戸時代のまだ機械化されていなかった、鎖国されていた日本のなかでの伝統的な手工業です。手作業でやっていたにも関わらず、とても質の高い金を大量に生産していたのです。しかも17世紀における世界最大の金の産地であったということですから、やはり江戸時代のものなのです。
飯田)まさに「黄金の国・ジパング」の所以だったところだということですね。
高市)そうですね。新潟県の方々が20年以上苦労して、「これを世界文化遺産にしたい」と頑張って来たのです。「何としても今年度、政府からユネスコに申請して欲しい」というのが地元の声です。
飯田)地元の声である。
高市)今年の2月1日にユネスコに申請したとしても、来年の6月に決まるということで、いまから約1年4ヵ月もあります。ユネスコ世界遺産委員会の委員国は21ヵ国で構成されています。そして、最後に多数決で3分の2以上の票を獲ればいいのです。
飯田)3分の2以上。
高市)つまり14ヵ国が賛成すればいい。日本も委員国ですから、そのうちの1ヵ国は日本です。残り13ヵ国にしっかり説明して納得してもらえばいいので、絶好のチャンスだと思います。韓国の外交部が言っていらっしゃるような、「戦争中に朝鮮半島出身者が佐渡金山で働いていたから、これはけしからん」という主張は時代が違います。まったく別物の話だろうなと思います。
講演で発言する自民党の高市早苗政調会長=2022年1月12日午後、東京都千代田区 写真提供:産経新聞社
飯田)韓国がそのようなことを言い出している根拠として、これは「世界記憶遺産」の方だと思うのですが、「関係国が反対している場合は登録してはいけない」ということを前面に押し出しています。これは文化遺産とは違う話と考えていいのですか?
高市)まったく別物です。世界記憶遺産というのは、対象も絵や文書、映画などとなっています。また、世界記憶遺産と世界文化遺産もまったく別物でございます。特に佐渡島の場合は産業遺産です。ですから、これは記憶遺産のルールをそのまま当てはめられるようなものではありませんし、そもそも「当事国同士で話をしなさい」と言っても、江戸時代の佐渡金山において、韓国は当事国ではありません。ここははっきりと政府から説明していただきたいです。
韓国の文在寅大統領(ハンガリー・ブダペスト) AFP=時事 写真提供:時事通信
飯田)外務大臣は、韓国に対しての説明、あるいは登録について、「2月1日までに推薦しない」とは言っていないですよね。
高市)そうですね。ただ去年(2021年)の12月28日に、文化庁の文化審議会が佐渡金山を世界文化遺産の候補に選定した同じ日に、「選定はしましたけれども、決定ではない」と。「政府内で総合的な検討を行う」ということが同時に発表されました。それが妙に気にかかってはおりました。
飯田)選定された同じ日に。
高市)案の定、韓国の外交部が、佐渡の鉱山……向こうは鉱山と呼んでいますけれども、「当時の韓国人労働者が働かされていた場所だから相応しくない」ということで抗議をしました。「総合的な検討がどのような内容なのか」ということです。しかし、佐渡金山は明確に江戸時代の手工業です。しっかりと言い切ることが大事だと思います。
飯田)これでもし取り下げることになっても、「特定の国にいろいろと気を使ったのだな」と思われること自体が、あまり日本国にとってもよくないような気がするのですが。
高市)あまりどころか、まったくよくないですよ。佐渡金山に関しては、地元にもきちんとした資料が出て来ています。戦争中は、基本的に国民、内地に住んでいる日本人は国民徴用令で徴用されました。
飯田)戦争中。
高市)当時は日韓併合条約で、韓国も日本国内でしたから、いま朝鮮半島にお住まいの方も同じように日本人として徴用された。ですが、徴用された期間は終戦の前年からなのです。日本人は早くから徴用されていましたけれども、朝鮮半島からの徴用はギリギリまでやらないということで、終戦の前年~終戦の年の春ごろまででした。ですから「半年くらいの間、徴用があった」ということなのです。
飯田)終戦までの約半年間。
高市)交通費や賃金、現在で言うボーナスなど、日本国内の人だけでなく朝鮮半島から来られた方にも、同じように支払われていた。家族連れであれば、住居も無料で使っていただけました。また、運動会やさまざまな娯楽も一緒に楽しんでいたというようなことも、地元の記録文書に残っています。ですので、この歴史問題、特に戦争中の話に引っ張るのは無茶ではないかと思います。あくまでも江戸時代の伝統的手工業なのです。