27年前の1995年という年は、1月17日に起きた阪神・淡路大震災に加えて、日本の危機管理体制のもろさが露呈する事案が、もう1つ発生している。3月20日午前8時頃、宗教法人オウム真理教が、東京都内の営団地下鉄(現・東京メトロ)内で、神経ガスのサリンを使用した同時多発テロ事件「地下鉄サリン事件」を起こしたのだ。この事件では14人が死亡、負傷者は約6300人にのぼった。
大都市で一般市民に対して化学兵器が使用された史上初の無差別テロ事件は、日本国内だけでなく世界中を震撼(しんかん)させた。
「異臭がする」「倒れている人がいる」などの通報を受けた警察官や消防官の多くが、サリンに無防備な状態で地下鉄構内に飛び込んで救急救命活動に当たった。このため、警察官や消防官にも多数の被害が出る。搬送先の病院では、負傷者に付着したサリンが気化するなどして、医療スタッフにも二次被害が出た。
自衛隊の部隊で出動したのは、市ヶ谷駐屯地(東京都新宿区)の陸上自衛隊第32普通科連隊だ。連隊長の福山隆1佐が退官後に書いた『地下鉄サリン事件戦記』(光人社)のなかで、出動時のことを「毒ガスが散布され人が死亡しているというのに何故『治安出動命令』ではなく『災害派遣命令』なのか?」と回想し、こう問題提起している。
「毒ガスを散布するような犯人は、常識では考えられない暴挙をしでかすと考えた方がいいだろう。犯人たちは、地下鉄に毒ガスを散布しただけでは満足せず、引き続き人が集まる場所に毒ガスをまき散らしたり、銃や爆弾を用いて無差別テロを継続するかもれない(中略)災害派遣命令で出動する場合は、法的に小銃や拳銃(弾薬を含む)は携行できないので、万一、そうなった場合には、市民を守ることはできない」
自衛隊を災害派遣命令で出動させたのは、当時の村山富市政権だ。阪神・淡路大震災の初動対応で、村山政権は失態を演じて批判を浴びたが、地下鉄サリン事件でも、状況認識が「平和ボケ」の思考だったことがうかがええる。
その後、オウム真理教による銃や爆弾を用いた無差別テロは起きなかったものの、首相は「最悪の事態」を想定して命令を出すべきだった。岸田文雄首相も同じような事態が起きたとき、治安出動命令ではなく、災害派遣命令で対応しようとするのだろうか…。
地下鉄サリン事件から四半世紀が過ぎるなか、事件の教訓がその後の危機管理政策に活かされているとは思えない。「CBRNE災害」(=化学・生物・放射性物質・核・爆発物によって起きる特殊災害)に対する体制は、国も地方自治体も、実効性をほとんど伴わない計画を机上の空論で策定し、それで終わりという程度でお茶を濁しているからだ。
CBRNE災害に対応する、専門性を持った人材育成も不十分だし、機関・組織も皆無に等しい。海外では国民に訓練を課しているところもある。危機管理体制は公的セクターだけではカバーできない。国民の協力が必要であり、地域住民が中心となって活動する「民間防衛組織(文民保護組織)の創設」を日本も検討すべきだろう。
■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学卒、日本大学大学院総合社会情報研究科修了。防衛庁陸上自衛隊、栃木市首席政策監などを経て、現在は拓殖大学大学院特任教授、同大学防災教育研究センター長、ニューレジリエンスフォーラム事務局長などを務める。著書・共著に『戦国の城と59人の姫たち』(並木書房)、『日本版 民間防衛』(青林堂)など。